その2
はじめてのセラピー
柔らかい緑を基調とした部屋にはカラーボトルがたくさん並んでいました。初めてお会いしたセラピストさんは、私より年上の女性でした。
「ドキドキしてます。」と言う私に、笑顔で「私も最初のセラピーの時はドキドキしてましたよ。」と答えてくれました。なんだかスッと気持ちが和みました。
私の現状や問題の説明をしたあと、セラピストさんは心の構造について話をしてくれました。その考え方に基づいて、催眠がどこに作用するのかなどの説明を聞きました。
《またまた、つけたし》
私は大学で少しばかり心理学の単位も取りました。大学を卒業してからも、個人的に趣味として心理学の本をぼちぼちと読んだりしてます。
その僅かな知識で思うのは、無意識なんてものは意識してないんだから確かめようがないけれど、【無意識】があるとした心の構造を考えた方が、しっくりくるなぁ、ということです。
そして、その心の奥の奥(または中心?)に【魂】というモノがあると考えた方が、これまたしっくりくるなぁ、と思ってます。もちろん、検出器で測定できるモノではありませんが。
催眠に入る前に、たくさんある布の中から好きな色の布を選ぶように言われました。
私が選んだのはオレンジでした。そして目を閉じて、そのオレンジの布から「人」をイメージするように、できるだけ細部に至るまでイメージするように言われました。
イメージに浮かんだのは、健康そうな日焼けした女性でした。
「このオレンジの女性は、あなたの中にいる別のあなた(のイメージ)なんですよ。」と言われ、健康そうな女性が私の中にもいるのかと思うと、それだけで嬉しくなりました。
◆
「催眠状態って、こんなものなの?って拍子抜けしますよ。」と、セラピストさんは笑って言いました。
確かにそうでした。別に映像がクリアに見えるわけでもないし、雑音だって聞こえます。意識もしっかりしています。
しかし、不思議と、だんだんイメージが一人歩きするような感覚になっていったのです。初めは誘導の言葉に従って、『頑張って』イメージしてたのが、少しずつ『心が勝手に』イメージするような感覚になってきました。これが催眠状態なんだそうです。
(ですから、普段からイメージすることが苦手な人は、『心が勝手にイメージしちゃう』という状態になるためには時間がかかる場合があるそうです。)
催眠中に、いろんな誘導をしてもらいました。
その中でも、「自分の中から、今まで自分の前面で、様々な問題の矢面に立って、自分を守ってきてくれた自分を取出して、目の前の椅子に座らせてあげましょう。そして、心からありがとうって言いましょう。」と誘導された時には、びっくりしました。
すーっと半透明な自分が自分の中から出て来て、目の前に座ってるようなイメージが浮かんできたので、心の中で『ありがとうね。今までお疲れさま。』と呟いた途端、涙がだーだーと出てきたのです。
クリアな思考の私は『なになに??なんで泣いてるの?あたし。』と、びっくりしたのですが、その反面、心は目の前の自分(しつこいようですが、映像では見えてません。あくまでイメージです。)に対して、ものすごーーーーく深い感謝の気持ちを感じてるのです。
自分自身に感謝する気持ちになったのは、初めてだと思います。不思議な感じでした。
インナーチャイルドにも会いました。私が会った私の中の子供は、4歳くらいのよしみちゃんでした。
(何故か三つ編みをしてるんですわ。私、子供の頃はそんな髪型じゃなかったんですが。でも、それでもいいんですって。)
その子供に「何かして欲しい?」と尋ねてみましょう、と誘導されたので、そのように尋ねてみると、彼女は「抱っこして、遠くを見せて。」と言いました。(言ったようなイメージがしたんです。なんとなく。)
それで、大人の私が子供の私を抱き上げてあげると、小さいよしみちゃんはニコニコしながら、嬉しそうに地平線を指差してるんです。
何か子供の頃に問題がある場合、このインナーチャイルドが恥ずかしがって隠れたり、泣き出したりするそうなんです。しかし、私のインナーチャイルド(の一人)は、嬉しそうに遠くを見るような子供だったため、なんだかホッとして、嬉しくなりました。
自分の原型の一つを見てるような気がしました。
催眠の前にイメージしたオレンジの女性と同化するような感覚にも誘導されました。なんだか、忘れていた「健康な自分」を思い出したような感じがしました。
さまざまな誘導によって、自分の中で固定してるイメージを変えるための「プラスのイメージの再体験」をしてるんだなぁ、と思考では考えたりしてました。
このように再体験したイメージや感覚を、日常でも思いかえすことにより、徐々にセルフイメージの再構成をしていくのでしょう。
◆
セラピーからの帰り道、ふと気がつくと私はこのオレンジの女性にでもなったかのような足取りになってました。
体調が下降線の時も、催眠の時のイメージを思い出すことで、心が少し楽になるような気がするようになりました。もちろん、体がすぐに楽になるわけではないのですが。
2回目のセラピー
2回目のセラピーでは、前世にも遡ってみましょうか、と言われていたので、1回目のセラピーとはまた違った意味でドキドキしていました。
しかし、セラピストさんとお話を少しして、2回目のセラピーは延期となりました。(その詳細はこちら。でも、催眠療法の話じゃないので、催眠療法以外に興味が無いなら飛ばしてください。)
ほんとの2回目のセラピー
1回目からかなり時間が経ってしまいましたが、2回目のセラピーに行きました。2回目は、私の過去世に遡ってみました。
催眠によって過去世がハッキリ見える人は、全体の2割程度なんだそうです。そして、何も分からない人も2割程度いるそうです。
残りの6割は、『なんとなく、〜みたいな気がする・・・・。』という程度なんだそうです。そのため、直観で『そんな気がする』を、もっと捉えようとして、頭で考え始めると、分からなくなるそうです。
直観で感じたことを大切にしていくと、イメージが少しずつ膨らんで浮かんでくる、というものなんでしょう。
◆
前回の誘導とそんなに変わらなかったので、思考としては『ふーん。こんなんで過去世に触れられるのかなぁ?』と思ったりしてました。
のんびり誘導を受けていたら、「では、この扉を開けると、過去世の1つが見えてきます。」と言われ、『ええ?もう行っちゃうの??見えるかしら??』と、思考の部分で少し慌てました。
そのためか、初めはイメージがなかなか浮かんで来ませんでした。しかし、だんだん、「あ、男の人みたいな気がします。」「黒っぽい髪で、黒っぽい瞳をしてる気がします。」と、なんとなく、そんな気がするという感じになってきました。
そのように、なんとなく感じた過去世は以下のような感じでした。
- 割と昔に、地中海〜中東の方に住んでた男性
- 子供の頃に家族をなくしたらしい。
- 市場で働いてるみたい。しかし、なんだか常に人と心の距離を置いてるみたいな感じの人。
- 家族に縁が無いのか、自ら家族を失うのが怖くて、家族を作らなかったのか・・・そんな感じ。
- 死ぬ時は、肺の病いが原因みたい。白い部屋のベッドの上で穏やかに死んでいった。臨終には2人ほどの友達がいたみたい。
- とても我慢強い人みたい。
-
彼は、寡黙な感じがしました。そして、セラピストさんに「彼は彼の人生で何を学びましたか?」と聞かれた途端、寂しい気持ちがうわーーーっと流れ込んできました。
「寂しいなら、寂しいって言えば良かったのに。」と、私は言いました。人生を貫く深い孤独感を感じて、涙がぽろぽろと出てきました。これは私の孤独感ではないのですが、感情がどこからか流れて込んで来るのです。
白髪が生える頃まで、ずっと孤独を抱えて生きてきた人の気持ちなんて、私には分からないのですが、その感情の一部に触れたような気がしました。
そんな彼の孤独感に触れて、私はある感情を思い出しました。
まだほんの小さい頃、小学生になるかならないかくらいの小さい頃、家族と一緒にいても、とても寂しい気持ちになり、所在ない感覚に襲われることが度々あったのです。
子供なので、その感情を言葉にすることができず、ただ、そんな気持ちになることに罪悪感みたいなものを感じるようになりました。
成長するにしたがって、その寂しさや所在なさにも慣れ、いつしか忘れてしまったのですが、あの感情を思い出したのです。
『あれは、あたしの寂しさじゃなくて、彼の寂しさだったんだ。』と、妙に納得してしまいました。
- 割と近い時代で戦争があった頃、東欧の方に住んでた女性
- 寒い橋の上で、誰か男性を待ってる感じ。
- 彼女は彼(スパイみたい)に利用されてると知ってて、待ってる感じ。
- 最後は雪の中で殺されたみたい。けれども彼女は彼を恨んでる気持ちは無かったみたい。
-
・・・・なんとまぁ、悲しい人生でしょう。
彼女が人生で学んだことは?と聞かれて、「家族や国を裏切ってはいけない。」と、私が答えました。そんな気がしたのです。(普段のあたしなら、国を裏切っちゃいけない、なんて重い言葉は絶対に出てこないなぁー、なんて思考部分では思ってました。んー、ビックリ。)
そして、彼女の人生が今の私にも影響してるなぁ、と思い当たるフシがあり、『そっか。そうなのか。』と、これまた妙に納得してしまいました。
これらの過去世での感情を体験した後、今の自分にとって不要な感情は、彼らに持って行ってもらうというイメージを誘導してもらいました。
これにより、自分の中がスッキリしたような気分になりました。
◆
この体験後、体調そのものがイマイチ優れなくても、気持ちに余裕ができてきたなぁ〜、と感じるようになりました。
「辛い。」「しんどい。」って言うことが多すぎて、そういう言葉を発すること自体に罪悪感を感じてたいた部分がかなりあったのですが、「あの男性も、余計な我慢なんてせずに寂しいって言えば良かったのね。私も辛かったら辛いって言うことに罪悪感なんて感じなくてもいいんだな。」と思ったら、それだけで、とても楽になったのです。
病気が完治したわけでもないんですが、気持ちがかなり楽になったのは、本当に嬉しいです。
◆
私が感じたことは、私の心が昔見た映画や小説や漫画から部品を引っ張り出して、適当に構築して見せたものかもしれません。そして、私が感じた感情も、そのイメージに誘発されたものなのかもしれません。
しかし、私にとっては『真実』なのですから、それが『事実』かどうかは、あまり関係ないような気がします。
私ではない私の心に触れたことが、なんだかすごーーーく大切なことなんだなぁ、と思いました。
続きを読んでみる
戻ってみる