その4

■□■ 私の本職はテクニカルライタ ■□■

社内の職種で言えば、私も開発の人間なのですが、もうずーーーーーーっとソフトウェア開発作業はしていません。
メインのお仕事は、ソフトウェアのマニュアルを作成するというものです。そのため、人様に理解してもらうためには、どのようにまとめなくてはならないか、ということも多少は知っています。

金曜日の夜に3億円事件が発覚し、土曜日の午前中に弁護士会館に行く、という行動をとったため、体調がイマイチの私は疲れきっていました。
というわけで、土曜日の午後は気分転換にお掃除や洗濯をしただけで、後はゴロゴロしていました。
そして、日曜日は前々から友達が遊びに来ることになっていたので、おかんに送ってもらったFAXをまとめる作業は日曜日の夜から始めることになりました。

原稿を整理したり、分かりやすく書き直したりすることが本業なので、これくらい2時間もあればできる、と思ってたのが甘かったです。甘甘でした。
まとめ始めてすぐに、『やばー。』と思いました。
FAXを受信して、さらさらと読み、だいたいの流れを把握することは、おかんのFAXでも可能でした。
が、それを他人様、それも家庭裁判所の人に経緯をしっかり把握してもらうために資料を書き起こそうとすると、おかんの情報だけでは足りないことや、不明な点が多すぎたのです。
(仕事でも、『なんとか書けるかなー。』と思って、もらった資料だけで書き始めると、『ううっ。これじゃ分からない。情報が足りないやー。』となって、開発者に問い合わせることが日常茶飯事。そんなもんなんです。私の技量って。とほほ。)

何度も実家に電話を入れ、「ここはこういうことなんかな?それともこういうことなんかな?」と詳しくヒアリングをしながら、資料を作成していきました。
しんどくなってきて、途中で『もー、ここらへんは適当にこんな感じで書いちゃおうかなー。』とチラっと思ったりもしましたが、
『いかんいかん。あたしはテクニカルライタやん。プロやでー。いい加減な資料を添付して、裁判所に出す訳にはいかんっ!』
と思いなおし、しなしなな体に喝を入れつつ資料を作成しました。
・・・・こんなところでプロ意識に目覚めるとは、自分でも思ってもいませんでした。とほほほ。


そうして、添付用資料も書き上げ、申請書も書き、月曜日の予定を実家のみんなと打ち合わせし終わったのは、午前3時になっていました。


■□■ 豊川市役所のおじさん ■□■

結婚して、私だけ本籍が旦那さんの実家になっていたので、戸籍抄本は豊川市役所まで取りに行かねばなりませんでした。
朝イチに旦那さんの車で豊川市役所まで行きました。

でも、やっぱり落ち着かない心のままだとダメですね。
抄本をもらうための用紙の書き方を間違えてしまい、手にした抄本を見て、「あかんー。これじゃダメやー。」と、泣きそうになりました。
いや、別にまた申請し直せば済むことなんですが、とにかく心が落ち着いてないため、どうしていいか分からなくなってしまいました。
いかんですね。人間、大変な時こそ冷静にならねば。(って、できんけど。)

旦那さんは私と違って落ち着いているので、すぐに抄本を手渡してくれた係のおじさんに声をかけてくれました。
おじさんに旦那さんが事情を話すと、おじさんはすぐに目的の抄本を用意してくれました。
本来なら、もう一度手続きをして、お金も支払うべきなのに、「いいよ。」と笑顔で対応してくれました。

心も体も弱ってる時というのは、他人さまの優しさが身に沁みるもんなんですね。
普段でも、こういう対応をしてもらえると嬉しいもんなんですが、いつもより何十倍も嬉しくなりました。
ついついブルーになってしまいがちだったのですが、岐阜に向かう車の中では、おじさんのおかげで少しばかり気持にも元気が出てきました。


■□■ 家庭裁判所 ■□■

初めて家庭裁判所に行きました。
ドキドキしていましたが、ここまで来ると寝不足や体調不良も手伝って、あまり思考できない状態になってました。
おかげで緊張し過ぎて自律神経が暴走することもありませんでした。これくらいで丁度良かったのかもしれません。

係の方に書類を提出して、一通り書類の確認をしてもらいました。
(実は私の住民票が足りなかったので、後日郵送ということになりました。)
そして、係の方から軽く事情について質問されました。
係の方はとても口調が柔らかく、とても話しやすい方でした。家庭裁判所の人はみんなこんな感じなのかな〜?なんて、ちょっと感心さえしてしまいました。
そして、その係の方がおかんに対して、「じゃあ、旦那さんの貯金とかは全然なかったの?」と質問された時でした。
「10万円くらいあったんですが、最近、生活費に使ってしまいました…。うううう。」と、おかんが泣きだしてしまったのです。
おかんも泣かないように我慢してたんでしょうが、とうとう涙が出てしまったようでした。

いつもなら、こーゆー場面では私も絶対泣いてしまいます。鉄板です。
でも、やっぱり寝不足と体調不良が効いてたようで、涙は少しうるうるっと出ただけで、頭では違うことを考えてしまっていました。

『ドラマみたいや。ここぞというタイミングやなぁ。』と。

もちろん、おかんが心証を良くしようと計算して泣いてるわけでもないし(んな器用なコトできる訳ない)、本当に悲しいやら悔しいやら様々な気持で泣けてしまった、というのも分かっています。
けれど、ほんとにドラマみたいなタイミングだったので、ビックリというか感心するというか、変テコな気分になりました。
これは私だけが思ったことではなく、後から聞いたら、みんなが同じように感じたということでした。

後から思えば、ここでも見守られていたんだということだったんだな、と思いました。
(すんません。やっぱりオカルトな話も絡んでくるんです。それはこの後、明らかになりました。)


書類提出と質問はほんの数分で終了しました。
「財産放棄が認められるかどうかは分かりませんよ。」と、言われましたが、それは覚悟の上です。
でも、金曜日に事実が発覚したのに、もう月曜日の午前中に書類を提出できたということで、とりあえずの安堵感がみんなの中に広がりました。

事実関係の詳細についての添付資料があったため、裁判所から呼び出し(事情聴取?)はありませんでした。
そのため、書類提出から3カ月間、何の変化も無いまま日常生活が過ぎていきました。




その4.5を読む(ちょっとオカルトちっく。)
その5を読む(ごめんなさい。未稿。)