その2

■□■ 身近にいた勇者様 ■□■

おかんの電話を切った後、私は仕方がないと思いつつも、かなり落ち込んでいました。
体調は下の下。胃透視後の下剤でお腹は痛い・・・。
「なんかさ、弱り目にたたり目って感じ。はぁ・・・・。」と、私はじめじめ状態になっていました。

しかし、旦那さんは違いました。ずっと愛用のノートパソコンに向かって真剣な顔をしていました。

「あったよ。これ、似た様な状況じゃない?」と、突然旦那さんが口を開きました。
「・・・何?」と、パソコンの画面を覗き込むと、そこには法律問題のQ&Aのページが開いていました。
ただ、ガッカリして落ち込んでる私とは違い、旦那さんはインターネットの検索エンジンを活用し、弁護士の見解を探してくれていたのです。

プラスの遺産を相続していないが、親の死亡後3カ月以上経ってから借金が判明したが、どうしから良いか?という質問に弁護士が回答していました。
借金の存在が判明してから3カ月以内の相続放棄を認めた判例があるので、すぐに家庭裁判所に相続放棄の手続きを申請しましょう。という回答でした。

「・・・うち、なんも相続するもんなかったし、借金があったなんて今日来た通知書で知ったんやから、もしかして相続放棄が認められるかもしれんのかなぁ?」と、私はドキドキしながら旦那さんに聞きました。
「分からんけど、認められるかもしれんよ。」と旦那さんは力強く言いました。
そして、「他にも調べてみるから。あんたも調べてみ。」と、私に言いました。

しかし、頭の中はぐるぐるしていました。お腹も痛かったので、私はしっかりと思考できずにいました。
そのため、私もノートパソコンを立ち上げましたが、情けないことに状況を打破するためのキッカケを探し出す気力が出てきませんでした。
『もしかしたら、上手く納まるかもしれない。でも、やっぱりダメなのかもしれない。』と、行ったり来たりの不安定な気持ちが膨れ上がるだけで、とうとう痛いお腹に手を当てながら横になってしまいました。起きてさえいれらなくなってしまったのです。

これは私の家族の問題です。配偶者の旦那さんにとっては、直接には関係ない問題です。
本当は私や実家の家族がしっかりしなければならないのに、私はじめじめぐるぐるしたまま横になってしまいました。
きっと実家の弟たちも、「弁護士さんがそう言うなら、そうするしかない。」と言ってることでしょう。
なのに、旦那さんは一人で黙々とインターネットを使って、情報を次々と探し出してきてくれているのです。

「○○裁判所のFAXサービスで、相続放棄の申請書を取り寄せられるから、これから取り寄せるね。」
「弁護士に相談した方がいいかなぁ?明日は土曜日だけど、相談乗ってくれる弁護士事務所ってあるかなぁ?」
「相談に行くにしても、これらのQ&Aをプリントアウトして持ってった方がいいから、印刷するよ。」

しょぼくれて、お腹を抑えて横になってる情けない妻を責めることもなく、旦那さんは次々と必要な情報を集めていました。
なんて頼りになる人と、私は結婚したんだろう、と思いました。
お父さんのお通夜・お葬式の時にも『頼りになる人だなぁ。』と思いましたが、その時よりも増して頼りになる人だったんだ、と思いました。


■□■ 私は何も分かっていなかった ■□■

「で、お父さんは何も言わなかったって言うけど、会社の借金なんやろ?」と、旦那さん。
「うん。そうみたい。」と、私。
「んー。で、銀行は何て言ってきとるの?」と、旦那さん。
「んーーー。・・・分かんない。おかんの言ってる話だけでは、ちっとも分からんなぁ・・・。」と、私。

ダメです。全然なってなってないです。
旦那さんに、「これはどうなってんの?」「あれはどうなってんの?」と聞かる度に、「うーん・・・・。わかんない。」としか私は答えられなかったのですから。

お父さんが亡くなった頃は、まだ私は沼津に住んでいました。
そのため、7日間の忌引休暇が過ぎた後のことは、おかんや弟たちに任せっきりになっていました。
私はおかんから事後報告を受けるだけでしたから、結果しか知らない状態だったのです。

これでは弁護士に相談するにも困るし、家庭裁判所に申請するにも困るな、と思いました。
そして、すぐに情報をまとめなくてはならないと思い、実家にすぐに電話しました。
「もしかしたら相続放棄ができるかもしれんよ。そのためにも、お父さんが死んでから今日の銀行の通知が届くまでのことを思い出して、順番に書き出してくれんかな?私では分からんことが多すぎるから。」と、おかんに言いました。
不安でいっぱいのおかんに、昔の出来事を思い出して書き出せというのは少し酷だな、と思いましたが、情報の整理は必須だったので、「大変やと思うけど、頑張って書いてね。」とお願いしました。


数時間後、おかんからFAXが届きました。
事象と感情を同列に並べて書かれているので分かりにくかったのですが、おかんの辛さが余計に伝わってくるものでした。
分かりにくい部分の確認や、弟たちへの確認を電話で行ったところ、おおよそのことが明らかになりました。


▼△▼おおよその流れはこんな感じです▲▽▲

●会社の危機発生。どういう経緯かは不明だかお父さんが銀行からの借り入れの際に保証人になったらしい。(家族には内緒で!非常にいけません。)


●お父さん、肺ガンで入院。3カ月後に死亡。


●おかんが、お父さんの会社に勤める前の仕事でできた借金について、どうしたらいいかを岐阜市の市民相談に相談に行った。
「亡くなった人の持ち物から、借りてる金融機関を調べて電話したらいいよ。」と言われ、その通りにした。
この時には3億円の借金のことは分からず。(元社長も何も言ってくれないので分かるわけない。)
相続放棄という方法があるなんて分からず。(相談に行くくらいだから知ってるわけない。そもそもプラスの遺産がないので、相続するもしないも、家族の誰一人そんな感覚を持ち合わせてはいなかった。)


●「死亡したなら、返済の必要はありません。」というところもあれば、「必ず返済してください。」と言う銀行もあり。


●受取人がおかんになってた共済金が支払われたので、必ず返済してくれと言った金融機関に返済した。(残ったお金はちょこっと。)


●お父さんの死後2年経ち、岐阜市保障協会から通知が来た。おかんや私達にお父さんの借金が相続されてるので返済してくれとのこと。
(この借金はお父さんと仕事してた人が支払う分だとお父さんから聞いていたので、おかんビックリ仰天。)


●おかんの代理で弟2人で岐阜市の無料法律相談に行き、弁護士さんに相談した。
おかんが保険金や会社からの慰労金で借金を返したと説明したら、
「お父さんの遺産を使って借金を返済してしまってるので、相続放棄は無理ですね。相続放棄するには、その分のお金を用意しないとダメだけど、無理でしょ?」と言われた。


●保障協会へは、おかんが月3000円の返済をすることなった。


●おかん、年月日失念だが、○○銀行からお父さん宛てに1枚の通知書が届いた。
3億ン千万円の保証人になってるよ、という通知で、どビックリしたらしい。
会社に電話したところ、元社長が、「銀行に連絡して、お父さんが死んだことと、家にはなにも財産が無いことを言ってくれればいいはず。」と言うので、おかん、すぐに銀行に電話した。
担当者は「分かりました。では、その通知書を返送してください。」と言うので、「それだけでいいんですか?」と聞いたところ、「はい。」と担当者は答えた。
すぐに返送して、おかんは一安心。
子供には余計な心配かけたくなかったとかで、何も言わないでいたら、すっかりこの一件を忘れていたらしい。


●お父さんの死後、4年半経って、銀行からお父さん宛てに「この債権は債権回収業者に譲渡しました。」との通知が届いた。


「・・・一度、通知が来とったんか。」と、ビックリしました。
「でも、銀行のこの対応だと、もう大丈夫ってお母さんが思っても仕方がないなぁ。」と旦那さんは言いました。
私は、本当に何も知らずにいたことが悔やまれました。

FAXを読んでいた旦那さんは、少し強い口調で言いました。
「この弁護士、ヒドいなぁ。」
「どこが?」と私は聞きました。
「さっき調べたけど、受取人がお母さんの生命保険は、遺産じゃなくて、お母さんの財産なんだって。」
会社からの慰労金も、お母さんあてでした。
「じゃあ、この弁護士が言ったことは間違ってたの?」
「うん。そういうことになるやろ?」


お父さんは、おかんに借金の話を具体的にしたことは無かったそうです。
昔の人だから、と言えばそれまでですが、ちゃんと話をしていなかったお父さんを、心のどこかで少し恨みました。

法律のことが全然分からないので、おかんと上の弟は市民無料相談に行ったのに、今から思うと的確な回答をしてもらえなかったために、最良の道が閉ざされてしまったんだと思ったら、少し怒りを覚えました。

無料相談の時に当たった弁護士がもっと優秀な人だったら良かったのに、と思ったら、かなりムカムカしました。


しかし、一番悔しくて、怒りを感じたのは自分自身のことでした。
何も知らなくて、おかんと弟たちに任せっきりで、『私の役目は、おかん達が急な入り用でお金に困った時に、すぐに送金してあげることだな。』と呑気に思ってた自分自身に対してでした。
忌引休暇が終わって、沼津に帰る前に、おかんと弟に、
「お父さんの借金のこととか、どうしていいか分からんことは、ちゃんと相談せんとあかんよ。市の無料相談に行けばいいと思うよ。」と私は言いました。
こんなことになるなら、お金を渡しておいて、「弁護士さんに相談に行ってきてね。」と言えば良かったと思いました。

涙がぼろぼろ出てきました。

「あたしは、体がしんどくても会社を辞めれんかったのは、自分が役立たずになるのが怖かったでなんよ。」
ぼろぼろ泣きながら私は旦那さんに言いました。
「お父さんが支払いにどーしても困った時とかに、お父さんに頼まれてお金を送った時、お父さんはすごく申し訳なさそうだったけど、あたしは自分が家族の役に立てたと思ったら嬉しかったんよ。」
鼻水もだらだら出てきて、私は悲惨な顔になっていたはずです。
「入社してすぐに沼津勤務になっちゃったし、お嫁にも行っちゃったから、あたしの役目は困った時のお財布だと思ってたんだけど、結局私は役立たずやったんやわ。」
じめじめとした愚痴がいっぱいこぼれてきました。


「そう思うんなら、今、頑張るんやて。」
旦那さんは言いました。
「健さんも、自分の身は自分で守らんとアカンって言ってたやろ?」と、旦那さんは笑って言いました。
「・・・あ?・・・あの健さん?」
「そうそう。侍魂の健さん。」


侍魂とは大人気日記サイトのことです。
ここの管理人さんである健さんは、ある事件に遭遇しました。その事件の成り行きも、面白おかしく書かれています。
私も旦那さんもゲラゲラ大笑いして読んだのですが、ただ面白がって読んでいた訳ではありませんでした。
面白おかしく書かれていても、健さんは本当に大変な思いをしたんだということが分かるからです。
その健さんが、以下のように書かれています。

自分の身は自分で守る事が重要です
考えられる限りの行動を起こしましょう
友達という友達、全員に事情を話してみましょう
みんなで相談すれば必ず成すべき事が見つかるはずです
       (侍魂より抜粋)


「健さんは国家権力(警察)に頼ってただけじゃなかったやろ?」
「うん。自分でできることをしとったね。」
「それが、事件解決につながったやろ?」
「うん。そうやったね。」
ティッシュペーパーで涙と鼻水をふきながら私は答えました。

旦那さんはインターネットで調べられることをたくさん調べてくれています。
弟たちは、家に残ってる資料を整理しています。
おかんは頑張って経緯を書き出しました。

ダメです。じめじめ泣いてる場合ではありません。
情報を整理し、第三者にも分かる資料にすること。(テクニカルライタの本領を発揮せねば!)
おかんを励ますこと。(ある意味、あたしよりヘタレな部分があるからね。)
食欲なくても食べること。(ぶっ倒れとるヒマはないわっ!)
やれることはやらないといけません。自分の身は自分で守らないといけません。



泣いた後で、鼻声のまま私は言いました。
「しっかし、インターネットってすごいねぇ。」
「うん。インターネットをする人がすごく増えたおかげで、いろんなコンテンツが増えたからねぇ。だからこうやって調べられるんやもんねぇ。」と、旦那さんは真剣な顔して言いました。
「それに、励まされたりもするしねー。」
私はへへへと笑いながら言いました。

身近にいる旦那さんだけでなく、見知らぬ人たちにも助けられているのです。
世の中、勇者様がいっぱいです。




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