お遍路に行った時のこと
その1 ●お四国って濃い●
2002年の3月末にお遍路に行ってきました。
四国88ヶ所を車でお遍路さんしてきたのです。
旦那さんがリフレッシュ休暇を取得したので、私は年次休暇を取って2人でお遍路に行くことにしたのですが、私のオカンに「お遍路行ってくる。」と報告したところ、
「私も行く!連れてってー!」と間髪入れず猛烈にアピールされてしまい、連れていくことに。
そうなったら、旦那さんのお母さんも一緒に行ったらいいねぇ、ということになり、4人でお遍路さんに変身しました。
若干オカルト体質の私ですが、実は信心深くはありません。
何かがいつも邪魔をしてるような感じなのです。
例えば法事でお坊さんと一緒にお経を唱える時がありますよね。あの時でも私は声に出してお唱えできないんです。
私の何かが邪魔するんです。
まるで「お前ごときがお経を唱えるなんて笑わせるぜ。」と言われているような気分になってしまうのです。
そんなわけで、いつもオカンや弟1号が般若心経をお唱えするのを聞いていて慣れてはいたんですが、自分ではお唱えできずにいたので、1番札所ではドキドキしてしまいました。
にわか遍路です。
今さっきお店でお遍路用品を買って、お遍路さんになったばかりです。
でもって私の中には何やら邪魔者がいつもいるのですから、もぉかなりのドキドキもんでした。
しかし、やはりお四国は違います。何かが違いました。
もちろん、般若心経をお唱えしなきゃ始まらない訳なんですが、なんて言うか、やはり霊場なんだなぁ、と感じさせられたんです。
声に出してみたら、いつもの邪魔者が鳴りを潜めてしまったんです。
第1札所のお寺はちっとも霊験あらたかな雰囲気のお寺ではありませんでした。どっちかと言えば俗っぽかったです。
けれど、やっぱり弘法大師ゆかりのお寺なんだなぁ、と不思議な気分になりました。
私の実家の近くに「弘法さん」と呼ばれてるお寺があります。縁日には死んだばーちゃんが3姉妹でお参りに行ってましたし、私も小さい頃に何度か連れてってもらいました。
弘法大師は案外身近だったんです。
しかし、お四国はもっと濃厚です。お大師さまがあちこちにいらっしゃるような雰囲気の土地なのです。
それは、私たちがお遍路さんだったから、そんなふうに感じただけかもしれません。しかし、やはり四国という所は他の土地とは何かが違うと思いました。
どこに行っても車がのんびり走ってるからなのか、温かい気候だからなのか、大人しい野良犬が多いからなのか、手を挙げれば路線バスがどこでも止まるからなのか、なんなのか分かりませんが、それでも四国は空気が違うということだけはハッキリしていました。
そして、だんだん私も「お大師さま。」と口にするようになり、南無大師遍照金剛と、お大師さまのご真言を唱えることが多くなっていきました。
いえ。
やっぱり四国はお大師さま信仰が日常となっている土地なんだと思います。
私たちのような『にわか・車・お遍路』にも、地元の方がお接待をしてくださったのです。
日常の中にお遍路さんがいて、日常の中にお接待があるのですから、四国は濃くて当たり前なんでしょう。
一人は少し体の不自由そうなおじさんでした。
お遍路になったばかりで、自分たちがまだお遍路さんという自覚が無い時に、お寺の外で声をかけてくださいました。
「お遍路さん、お接待のみかん、持ってって。」と、おじさんがみかんを差し出してくださいました。
「え?私たちなんかに…?」と、4人してモゾモゾしていると、おじさんは
「いいから。お接待なんだから。ウチでとれたみかん、おいしいから。」と、手渡してくださいました。
なんだか、すごく申し訳ない気分になりました。自分たちがお接待していただけるようなお遍路さんだとはとても思えなかったからです。
でも、おじさんのみかんがとても美味しくて、じんわりとしてきました。お遍路に行けない自分の代わりにお遍路さんにお接待するんだそうです。四国の人々のお大師さま信仰の表現形式の1つなんだそうです。
私は、にわかお遍路でも車お遍路でも、お接待は喜んでいただかなきゃアカンなぁ、とおじさんのみかんを食べながら思いました。それは『私』ではなく、『お遍路の私』を通しておじさんのお大師さまへの気持が表現されているのであって、『私』なんぞがどんな人間であろうが、おじさんの信仰はそのままで関係ないんです。「私なんかにお接待してもらって申し訳ない。」と思うことの方が思い上がりも甚だしいんだな、とおじさんからもらった2つのみかんを食べ終わる頃には反省さえしました。
もう一人は小さな子供でした。
お遍路も中盤の頃、お寺の山門付近で待機していた子供たち4人が一斉に私たちのそばに駆け寄ってきて、プリンを差し出してくれました。目をキラキラさせて「お接待ですー!」と言うのです。
もぉぉぉ、小脇に抱えて連れて帰りたいような子供たちでした。近くでその子供たちのお母さんがニコニコしながら立っていました。
四国ってスゴい所だと、本当に思いました。
もちろん、四国の人たち全員が信心深いなんて思ってません。子供たちにお接待の心を教えるお母さんばかりじゃないのも知ってます。
けれど、四国は濃いと思うんです。
日常の風景に巡礼者がいて、日常生活の中にお接待の心が在る人も多い土地が濃くないはずがないと感じたのです。
私は他の巡礼地を知らないんですが、巡礼地というのはどこでも四国のようにディープなもんなのかなぁ、とぼんやり春のくすんだ青い空を眺めながら思いました。
*** ちなみに、お四国お遍路道は世界で唯一の循環型巡礼地なんだそうです。 ***
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