◆五井先生、大スキ。◆

◇◆祈りで地道に心を耕さんとね。◆◇

神様は無限なるものであり、その御力でもって世界をお作りになり、その無限なる愛で我々を見守っている…。


私は子供の頃、友達に誘われて数年間、プロテスタントの教会に通ってました。
聖書の言葉をいろいろ教えてもらってるうちに、子供ながら不思議に感じるようになりました。

「神様がこの世を作ったのなら、どうして戦争があったり災害があったりケンカがあったりイジメがあったりするの?どうして神様は私たちを神様に従順な生き物として作ってくれなかったの?」

聖書には『原罪』が書かれています。
ユートピアに住んでいたアダムとイブが、知恵の実を食べたためにユートピアを追い出されたと書かれています。
神様はユートピアを与えてくれていたのに、人間が神様の言いつけを破ったから、死や悲しみや苦しみを背負うことになった…なんて、どーにも理解できませんでした。
完全で無限なるものである神が、なぜ失敗作を作ってしまったのか?と、思ってしまったのです。
それでも神の存在を否定することはありませんでしたが、不思議でなりませんでした。

この疑問はいつも心の中にありました。
例の先生に五井先生のお祈りを教えていただき、少しずつではありますが日々お祈りを続けていくうちに、なんとなく分かってはきたのです。
神様は、私たちを愛するが故に「自由意志」を与えてくださったのだ、と。
それは「なんとなくそう感じる」としか言えないものなのですが、それは間違いないことだと、これまた「なんとなくそう感じる」のであります。
けれども、やはり私ごときに「この世界の不完全さ」の意味が完全に分かるわけは無く、疑問は常に存在し続けていました。


そして、やっと時期を得たのでしょう。 スピリチュアリズムの原点とも言える「シルバーバーチ」の霊言集を読んだ時に疑問が解けました。
そして、五井先生の本を読み始めて、「ああ、そうなのか。そうなんだな。」と納得することばかりでした。
神界の住人の言葉は、表現はそれぞれ異なっていても同じ真理を語っているのだと、あらためて理解しました。
お祈りを少しずつでも続けたおかげで、シルバーバーチや五井先生の言葉の意味を理解できるところまで魂が成長したんだなぁ、と嬉しくなりました。
というのも、例えばもし10年前の私が読んでも、今の私が理解するようには理解できなかっただろうと思うからです。
言葉の表面だけを理解して、真理に近づくことはできなかったでしょう。
祈りによって地道に心を耕しておかなければ、真理の種を手にしても、それらは根づかないし芽も出さない、ということなのだと思います。

お祈りを続けている間、近くの本屋さんに五井先生の本が何冊か置いてあるのは知っていたのですが、ちっとも手にする気持ちにならなかったのですが、ある日突然、俄然と買い込み読み出しました。
それに先駆けてシルバーバーチの本は3冊ほど読みましたが、やはり私には五井先生の方がご縁が近いようで、シルバーバーチの本よりも五井先生の本の方が「なじみやすさ」が格段に違いました。
私にとって五井先生の本は何冊読んでも、同じことの繰り返しのような感じがしても、いつもいつも何か新しい教えをいただけるのです。
先生の本を読む時は、いつもワクワクし、本当に嬉しくなります。

守護霊様が、心がある程度お祈りで耕されるまで本に手を出さないように心にストップをかけていたんだろうなぁ、と感じます。
おかげで、スッと先生の言葉が入ってくるようになってるのですから、本当にありがたくて嬉しくなります。
守護霊様ありがとうございます。守護神様ありがとうございます。


…つづきは書きかけなの。