◆アキオのことを書いた日記より◆

息子のアキオがダウン症かもしれないと、小児科の先生に言われたのは一カ月検診の時でした。
そして、ダウン症だとハッキリしたのは生後2か月になる直前でした。
それから私の日記はどうしてもダウン症のことをたくさん書くことになってしまいました。

アキオのこと、ダウン症のことを欠いた日記から少し抜粋してみました。



■1カ月検診■   at: 2003/10/04(Sat)

アキオがまだマメタロウの頃、それもまだとてもとても小さい頃、お母ちゃんは夢を見ました。
マメタロウは夢の中で、たった12週なのに生まれてきちゃったのです。
生まれてきちゃったマメタロウを、お母ちゃんは慌てて水をはった洗面器の中に入れました。
水の中からこちらをじーーっと見てるマメタロウの目はそれは綺麗な青色をしていました。
さすがに12週で生まれちゃったのはアカンと思い、お母ちゃんは股の間からマメタロウをするんと押し込みましたが、すぐにお腹の中でボコボコ動き出したマメタロウは再びちゅるんと出てきてしまいました。
二度目に出てきたマメタロウはもう黒い目をしていました。
「お腹に戻ろうよ。マメちゃん。12週で生まれちゃうと、何か障害が出ちゃうかもしれんで…。」と、お母ちゃんはマメタロウに言いましたが、マメタロウは
「目が見えんでも、耳が聞こえんでも、そんなことたいしたことあらへん。俺が生まれたいんや。」と、言いました。
「でも、やっぱり…。」と、お母ちゃんはまごついてるうちに目が醒めました。

この夢のことを旦那さんに話したら、旦那さんはえらく感動してました。
オカンや弟たちに話しても、「すごいなー。」と言われました。
私たちは小さな小さなマメタロウにとても大事なことを教えられたのでした。


さて。
今日はアキオと私の1カ月検診に行ってきました。
実はアキオは入院中の聴覚検査でひっかかっていたので、再検査も予定されていました。
1カ月お世話をしてきて、音に反応してることも多いので、大丈夫だろうと思ってました。

が、結果はダメ。
難聴の疑いがあるので、大学病院で脳波で測る検査をするようにと言われました。
難聴だった場合、6カ月くらいまでに見つけてやらないと、言葉のおくれにつながるそうなのです。

と、ここまでは冷静に小児科の先生の話を聞いてきたのですが…。


先生は思いもよらないことを言い始めました。
アキオにダウン症の疑いがあると言われてしまったのです。
先生たちは入院時から、アキオの顔つきがダウン症のようにも思えるけど、違うような気がするなぁ〜、と思ってたそうなのです。
先生曰く、見た目に「これはダウン症だな。」と思った場合は、入院中にそのことを親に告げ、検査をするそうなのですが、アキオの場合は「そんな感じもするけど、でも違うんじゃないかな〜?」という感じなので、何も私たちには言われなかったようなのです。
しかし、ダウン症の方も染色体を調べた方がいいと、今日になって言われました。
ダウン症では、難聴になる子も多いのだそうなのです。


ダウン症の人は、みんな同じような顔つきになるというのは聞いて知ってましたが、それがどのような顔つきなのかは知りませんでした。
その特徴のうち、『つり目で奥二重』というのは、まさしくアキオに当てはまります。
でも、この目って、お義母さんの目にそっくりなんだけどなぁ…。
あと、ダウン症の子供は筋肉が弱いことが多くて、抱っこしてもグニャっとしてる、というのも聞いたことがありました。
アキオは筋肉はしっかりしていて、ものすごくよく動きます。
なので、ダウン症の疑いなんて、これっぽっちも持ったことがありませんでした。


先生の話が終わって、紹介状を書いてもらってる間に、だんだん涙が出てきちゃいました。
ビックリしたのと、申し訳ないという気持ちがいっぱいになって、涙が止まらなくなりました。
家に帰っても、ずーっと涙が止まりませんでした。
「目が見えんでも、耳が聞こえんでも、そんなことたいしたことあらへん、って言ってた子だもんなぁ…。」と、思いつつも、やはり涙が止まりません。

人間は、過不足なしで生まれてくるものだと思います。
もし、なんらかの障害があるのなら、それは必要だから持って生まれてきたものだと思います。
アキオがたとえダウン症だったとしても、アキオに対する私たちの愛情が変わるわけでもないし、彼がかわいそうな子になるわけでもないのです。

でも、お母ちゃんは泣けて仕方がありませんでした。
すごく不安だったのです。

しかし、私は何を不安がってるんだろう?と、思いました。
そしてそれは、アキオがダウン症じゃないことを願っているからこそ、不安が生まれるんだとすぐに気づきました。

では、私はアキオがダウン症じゃなければいい、健康な普通の子であってくれ、と何故願ってるんだろう?と、思いました。
ダウン症やその他の障害を持ってる人を差別したりしてる気持ちはありません。
大変だろうなぁ、と思うことはあっても、不憫だとは思いません。
けれど、自分の子供は普通であって欲しいと願う気持ちは、一体何なのでしょう?
親だから?
母親だったら当然なんでしょうか??
普通に産んでやれなかったとしたら、とても申し訳ないと思う気持ちが、自分の中でこんなに強いものだと知り、戸惑いにも似た気持ちにさえなりました。
私は、『知っている』のにも関わらず。


そして。
夕方、オカンに電話していろいろ会話しているうちに、ふと気がつきました。
「ああ、これって、『親の欲』なんだなぁ。」って。
親の『愛』ではなく、親の『欲』だなぁ、って。
だから、『涙が止まらないような感情』が生み出されているのか、って分かりました。

また、大きなことをアキオに教えてもらったなぁ〜、と乳をぐうびぐうび飲んでいるアキオを顔を見て、しみじみと感謝しました。


親の欲としては、ダウン症じゃないといいな〜〜、と願っています。
検査結果が出るまでには、1カ月かかるそうです。



■ダウン症疑惑の結果■   at: 2003/10/22(Wed)

今日は旦那さんとアキオと一緒に○市大病院に行ってきました。
聴覚脳波検査の結果を聞きに、です。

結果はOKでした。
ちゃんと聞こえてるらしいです。
よかったよかった。


んで、おうちに帰ったところ、産院の小児科の先生から留守電が入っていたので、連絡をし、夕方に行ってきました。

アキオね、ダウン症でした。
染色体の写真を見せてもらいましたが、21番染色体が3本ありました。
あらら。欲張っちゃったのね。

卵子の元になる細胞が減数分裂する時に、上手に2つに分かれなかったのが原因です。
つまり、私のタマゴのエラーです。
ダウン症の子は1/1000の確率で生まれるそうなので、おそらく、前の月の卵子か次の月の卵子だったら、ダウン症ではなかったんでしょう。

でもね。
私は、やっぱりアキオを産んで良かったと思ってるんですよ。
『この器』を選んで生まれてきたのはアキオの魂だし、きっと私の魂も旦那さんの魂も十分に分かって、喜んで受け入れたんだと思うからです。

そりゃね、帰りの車の中でポロポロ泣いたりもしたんですが、それは親の欲のせいです。
悲しいから泣いてるんじゃないんです。
ま、でもね、泣きたい時に泣かないのは後からキちゃうので、泣いておきました。
今でも泣けるのは泣けるのよ。
けどねーー、なんてゆーか、今はどこかスッキリした気分なんです。
白黒ハッキリしたって意味もあるけれど、不思議なんですが、あるべき所にストンと何かが落ち着いたような感じがするんです。
ええ、予感はいろいろあったんです。
あの夢のこともそうだし、例の先生のところでたくさんお話を聞いてる時もふと思うことはたくさんありました。
けれども、それは負のイメージではありませんでした。
常にいつも御加護のある子供のイメージなのです。
それに『欲』のフィルターがかかると、あら不思議。「不安」に早変わり…というわけです。
ただそれだけ。

例の先生に
「この子にはかなわんよ。だって、修行したお坊さんが隣にいるようなもんだからね。」と言われたことや、
「この子は余計なことを悩まずに、やるべきことをして生きていけるよ。」と言われたこと、
「芸術にも深い感性を持った子になるよ。」と言われたことなど、それら全てが予感として感じ取れていましたし、御加護をいただいて生まれた子であることを嬉しく思って、『授かった子』というより、『神様仏様から預かった子』と本当に思いました。
ただ、親の欲はなかなか消せないので、
「これだけ元気なんだから、ダウン症じゃないと思うんだけどなぁ〜。」とはずーっと思ってましたが。

おかげさまで、心臓や腸などの重篤な合併症は無いし、筋肉も弱くないので、発達が遅れるといっても、「この子はのんびりしてるね。」くらいかれしれないと小児科の先生も言ってました。
痛いとか苦しいとか、そーゆー症状が無さそうなので、それには本当にホッとしました。


アキオはこの器だからそこ、この人生ですべきことをやっていけるんでしょう。
なんてったって、お薬師様が連れてきてくれた子ですから。


ダウン症の子ってね、そりゃ知能は低めだけど、人なつっこくて明るいんですって。
これからも、きっと楽しいことがいっぱいなんだろうなぁ〜と思います。
それにね、あたしね、2人目の子供も欲しいと思ってるしね。




■広い世界■   at: 2003/10/23(Thu)

母親ってものは、今、子供に食べさせてやらないと…っていうのが常に命題としてあるため、場合によっては強いのかもしれません。

私の場合でも、今のところアキオに重篤な合併症が無いというだけで、ひとまず安心できちゃって、
「とにかく乳だけはタップリあげなきゃ〜。」と、それが日々の8割を占めてるのであります。
それはダウン症って分かる前から同じなんですね。

なので、あまり先々のことに思いめぐらせることができなかったのですが、父親ってのは違うようです。
元々の役割として、父親は『子供が自立して生きていけるようになるために、今すべきことは何か』を考えることが多いような気がします。
ウチの旦那さんも然り。

だからなんでしょう。
私は時々じわ〜っと泣きつつも、思ったよりも結構普通にしていられたのですが、旦那さんはネットでいろいろ調べていくうちに、どんどんダメージが深くなっていったようです。

話を聞いてみると、確かにな、と思えます。
子供の頃はいいんです。
発達が遅くっても、少しばかり気を使うことが多くなっても、子供をかわいいかわいいだけで育てられるんですから。
でも、思春期以降はどうしたらいいのでしょう?
ほぼ普通の子と同じように性の問題も出てくるらしいのです。
その場合、私たちはどうしたらいいのでしょう?
普通の人よりナイーブなダウン症の人は、社会生活の中で抑うつ傾向が強く、『退行』しやすいそうなんです。
私たちはアキオにどのような環境を提示できるのでしょうか?
親の私たちが先に死んでしまったら、アキオはどうなってしまうのでしょう?

そんなことを考え出したら、涙が止まらなくなります。
お母ちゃんは、乳をあげていればそんなことも忘れてしまうんですが、お父ちゃんはそんなわけにはいきません。
アキオがかわいくて仕方がないお父ちゃんは、アキオの将来のことを考えると、たまらなく不安になるようなのです。

私は、いい旦那さんを持ったなぁ、と思いました。
アキオはいいお父さんを選んできたなぁ、と思いました。



私たちはあまりに『常識』というものに囚われ過ぎていて、『幸せ』さえも狭い『常識』の範囲で感じ取っているのかもしれません。
アキオには、きっと私たちが思いも寄らなかった世界を見せてもらえるんでしょう。
だって、この子が幸せになれないなんて、ちっとも思えないんですもん。

でもまぁ、まだ二人とも小心者の親なので、バカバカしいとは分かっていても、ついつい不安を先取りしちゃうんですけどね。てへ。




■三毛猫のオスは福猫■   at: 2003/10/25(Sat)

一昨日、お風呂の中でふと思い出したんですが、『招き猫』って三毛猫のオスらしいんですよね。

中学だか高校だか、どっちかは忘れましたが、生物の時間に教えてもらいました。
三毛猫って遺伝子の都合でメスしか生まれないんですってね。
オス(性染色体がXY)の場合はお腹で育たないんだそうです。

が、しかし。

たまーーーに育っちゃった『オスの三毛猫』ってのが生まれると、これがとても珍しいので、福猫ということで珍重されるんだそうです。
つまり、オスの三毛猫って、染色体異常なんですよ。
(性染色体がXXYとかになってるハズ。だからオスの三毛猫は生殖能力が無い。)


人間の場合も、思った以上に染色体のエラーってのは発生してるそうで、妊婦全体の10%以上が初期流産するというのは、だいたいは染色体異常の受精卵であるために、お腹で育たないからなんだそうです。
ダウン症の場合も同様で、受精卵の7割以上が流産しちゃうそうなんです。
でも、21番染色体は一番短いせいで、少しの卵には育っていく可能性が出てくるのだとか。


もちろん、そーゆーことを昔の日本人が知識として知ってたわけは無いけれど、『民族の深い深い感性が分かっていた』のかもしれませんね。
福猫や福子と言って大切にするのも、本当なら生まれてくることができない卵だったのに、頑張って生まれてきてくれたから「すごいね。よく頑張って生まれてきたね。」って褒めてあげてるのかなぁ〜?なんて思っちゃいました。









ようこそ。アキオ。
よく頑張って生まれてきてくれたね〜。




■そんな日だったのよ■    at: 2003/11/20(Thu)

アキオがダウン症だってことを受け入れて普通に生活してるんですが、たまーに発作的に『ぐずぐずな気持ち』が湧いてくることがあります。

今日はそんな日でした。

なんだろうねぇ〜?
「なんでこの子がダウン症なの?」という気持ちでも無く、
「私のせいだ。」という気持ちでも無く、
あまりハッキリとした形をしていない『ぐずぐずな気持ち』なのであります。





…脳内のセロトニンが少なくなってたんかなぁ?
うつ予防にはカツオがいいんですって〜。
みのが言ってたぞ。みのが。




■これも喪失体験なんだそうだ。■   at: 2003/11/28(Fri)

最近、あんなに楽しかった妊婦時代を思い出すことがイヤなんです。気持ち悪いんです。
マメタロウがダウン症とも知らず浮かれてた能天気さがイヤなのかなー?と、うっすら自分で思っていました。


今日、あるダウン症の子を持つ親のサークルのサイトを見てたんですが、その中にお医者さんの講演の記事が載っていました。
子供が何らかの障害を持っている、と分かった時、親の心は以下のプロセスで回復していくそうです。

1)ショックを受ける。
2)事実を否認する、認めない。
3)悲しみとか、怒りとか、不安が錯綜する。(この間ちょっと時間がある。)
4)事実を受け入れる事が出来る。
5)再起、新たな価値を見つけて取り組む、前進する、立直る。

これらは、配偶者を亡くした時の心のプロセスと同じなんだそうです。
喪のプロセスです。
障害児の親というのは、「自分が思い描いていた健常な子供のイメージ、自分にとって大切なものを失う。」「健常な子を産めるはずだった自分というものを失う。」と、二重の喪失を味わい、心に深い傷を負うのだそうです。
だいたい一般論では、このような喪失による心の傷が回復するのに2年かかるんだそうです。
もし、このプロセスのどこかで無意識に感情を押さえ込んだりすると、いつかどこかで破綻するんだそうです。心が。


私の場合、2)を少し押さえ込んでたような気がします。
事実を認めたくないんだけど、認めないとアキオを否定することになるから、それがとてもイヤだったんです。

でも、アカンですね。
アキオはとても大切だけど、自分の心の生み出す感情も素直に噛みしめないと。
だからその歪みが『楽しかった妊婦時代を思い出すのがイヤ』という形になって出てきてるんだなぁ〜、と思いました。
アキオがこのように生まれてきた理由は分かっているけれど、それでも未熟な私の心はしっかりと傷を負っているんだなぁ、と思いました。



…2年かぁ。なげーよなぁ。




■人間って、なんだろうね?■   at: 2003/11/30(Sun)

昨日はTBSの「人間とは何だ?W」を見ました。
この手の番組って、民放の場合は脚色が多くて途中で辟易することも多いんですが、このシリーズはなかなか見やすくて良いので好きです。
古館伊知郎と養老孟司のコメントも悪くないしね。

番組は初めはサヴァンの人たちのことを、最後にはウィリアムズ症候群の人たちのことを取り上げていました。
昔からサヴァンには少し興味があったので知ってましたが、ウィリアムズ症候群については知りませんでした。
ウィリアムズ症候群の人たちは第7番染色体の1本に欠失があるのだそうです。
遺伝子の一部が欠損してるのです。
ダウン症と同じく染色体異常で、遺伝病ではありません。

ウィリアムズ症候群の人たちは「妖精」のモデルではないかと言われているんだそうです。
大きな目、尖った鼻、小さな顎に大きな口。そして小柄な肢体。
その容貌は確かに妖精の挿絵に似てるなぁ、と思いました。
染色体異常なので、もちろん他にも様々な特徴や合併症がありますが、一番の特徴は純粋で社交的な愛すべき性格と「音楽」に対する非常に深い感受性です。
そんな彼らの姿をテレビで見ているうちに、私はだんだん心のどこかが癒されていくような感覚になっていきました。

ウィリアムズ症候群の人たちは、空間認識が苦手で、靴ひもを結ぶことや階段の上り降りなど、日常私たちが何気なくやっていることがとても難しいことなんだそうです。(しかし、人の顔に対する識別能力は私たちより優れています。)
計算などは苦手です。
そして、多くのウィリアムズ症候群の人は所謂「智恵遅れ」が多かれ少なかれありそうでした。
でも、彼らは純粋で明るいのです。
大人になっても好きな人にはハグをしまくって、愛情をおもいっきり表現しています。

サヴァンもウィリアムズも、「脳のフィルター」が少ない(または無い)ようなのです。
サヴァンの研究者の説明が面白かったです。
我々はあるモノや事柄について、それらを“概念”に当てはめて認識し記憶するのですが、サヴァンの人は“そのもの”として認識して記憶するので、脳に蓄積された“そのものの記憶”にアクセスするため、ものすっごい記憶力を発揮するのではないか、という説明でした。
この“概念”がフィルターということです。


愛情に溢れ、特別な能力や感受性を持つ人々には「多くの人が持っている普通の機能」が足りません。
でもね、彼らを見ていて思ったんです。
「人間には神性が備わっているというのは本当だな。」って。

脳は古い脳を覆うように新しい脳を付加する形で進化してきました。
脳幹を覆うように大脳辺縁形が、大脳辺縁形を覆うように大脳新皮質があります。
脳はモデルチェンジをするような進化はしていないのです。
脳は進化の過程で何も捨てていないのです。
そんな脳にはいろんな機能があり、おそらく健常者と言われる多くの人たちの脳の使い方というのは、一番「効率的」だったんでしょう。
たとえば、いくら音楽への感受性が深くても空間認識力が乏しいと生きていくことは非常に難しくなります。
“概念”が無いと、言葉で何かを伝えていくということも非常に大変になります。
それでは人間型文明なんて作れっこありません。
生きていくのに一番効率的な脳の使い方をする者が残り増えていったと考えるのは、当たり前と言えば当たり前ですね。

でも、効率的な使い方をしていると、他の部分が抑制されたり隠されたりしてしまうのかもしれません。
純粋な心や細やかな愛情、いろんな能力などです。
それらは「みんなの脳の中に在る」んだけど隠されているのではないでしょうか。
多くの宗教者が「人はみんな神の子」とか「人の心には生まれつき仏性がある」などと言います。
神さまの愛、神性は確かに脳の機能としても在るのだけれど、隠されているんだと、サヴァンやウィリアムズの人々を見ながら強く思いました。
人間は人間が思うような「限界」の外にも行けるんだろうな、って。
神様から与えてもらってるものは、人間自身が思うよりもっともっと広くて深いものなんだろうな、って。


ダウン症の人たちも、明るくて純粋だと聞きます。
1本多い染色体が、まるで干渉を起こすように、関係遺伝子の発動をどこかで抑制してしまうのかもしれません。
そして、脳の機能の一部が「なりをひそめた」ために、健常者と言われる人たちの脳では隠れている部分がヒョコっと顔を出しやすくなってるのかもしれません。
アキオは神様や仏様のご加護をたくさんもらって生まれてきた子なので、こういう形で生まれてきたのは『必然』だったのかもしれんなぁ〜、なんて思いました。


ウィリアムズ症候群の人が言っていました。
「私のウィリアムズは、神様からの贈り物です。」って。







ちなみに。
私はおそらく染色体異常ではないのですが、空間認識力が低く計算も苦手です。
自分の脳の機能の中で、それらを司る部分の働きがニブい…というか、「その部分がまるっと抜けている」という感覚さえあります。
かと言って、他の隠されてる部分がヒョコっと顔を出してるってことも無いんだなぁー。ちぇっ。




■母性が寂しいって泣くの。■at: 2003/12/26(Fri)



因縁の糸の結び目が私たちであり、その因縁の糸はあまりにも複雑に絡まっているようです。
ですから、アキオがダウン症として生まれたのにも「理由」があることは分かっていますが、だからと言って「母としての気持ち」がブレないとは言い切れません。
たまには寂しくなります。

そうなんです。
昨日の夜、ちょっとしたキッカケで突然寂しくなりました。
旦那さんは「不安なんでしょ?」と言いましたが、ちょっと違うんです。
寂しいんです。

分かりやすいのがタロットカードなのですが、「女王」というカードは『母なるもの』を意味します。
正位置では豊穣や優しさを意味しますが、逆位置の意味では「子供を包みこんで離さずに窒息させる」というイメージの言葉が並びます。
母とは、そういうものなのでしょう。
包み込んで包み込んで、包み込み過ぎると子供ばかりか自分さえ飲み込んでしまうほどなのです。

そして、私は母になったばかりです。
なのに、ダウン症と向き合うというのは、やはり時として表現が難しい寂しさを感じることもあるのです。
ほどほどの母であることが難しい時もあるのです。



そして、今日の午前中。
テレビをつけっぱなしのまま、アキオと一緒に寝てしまったのですが、ふと目を醒ましたら「とくダネ」で明治生命のCM(秋雪くんのね)についての特集が始まったところでした。ふと目を醒ましたら、あのCMですよ。
ちょっと寂しいモードになってる私にはタイムリー過ぎて、涙がボロボロ出てしまいました。
アキオが起きるまで、1人でボロボロ泣いてました。
ネットで「なんで染色体が3本あるとアカンのか」というのを調べたりして、余計に泣けてきました。
(1本多い染色体も頑張って仕事を完うしようとするんですね。だから固有のタンパク質が過剰になり、それが神経系統などに問題を起こすらしいのです。)

くどいようですが、アキオがダウン症で生まれてきたのは、彼の因縁の体現でもあり、私と旦那さんとその家族の因縁の体現でもあると思っています。
今の私たちにはこの形を避けることはできなかったでしょうし、この形を受け入れることに大きな意味があるのも分かっています。
例の先生は、「医学的にはそういうことなんだろうけど、この子は魂には何ら問題がないよ。」と教えてくれました。
穏やかな健やかな魂でいられるアキオを授かって、何を寂しがることがあるの?と自分でも思うのですが、新米母の母性は「正常の染色体数で産んでやれなかったことが申し訳ない。申し訳ない。」と言うのです。
正常に産んでやれなかったという想いは、やはり「喪失体験」なんですね。
だから寂しいのでしょう。


まだ、月に1回くらいはこんな感じになってしまうのです。
でも、これはこれで言わせておこうと思うのです。泣かせてあげようと思うのです。
乳を一生懸命飲んでるアキオの顔や、本当に嬉しそうに笑うアキオの顔を見ていると、だんだんブレてた母性も落ち着いてくるんですから大丈夫なんです。泣いたって。
こうやってブレて戻って…私の母性も育って行くのだと思います。多分ね。



写真は、息子のアップ。




■捨てた我が子なのかもしれない。■   at: 2004/01/13(Tue)



今日も旦那さんは復活できてません。
ですので会社はお休み。
私自身、お勤めしてた頃に何度か心が擦り切れたことがあったので、今は無理させたくないです。

と、それとは別に。
ヒドい鼻炎持ちの旦那さん。
今朝はあまりにもヒドかったので、とうとう自分でアレルギー科の看板を挙げてる耳鼻咽喉科を探して受診しに行きました。
ちょっと遠いんだけどね…。
名古屋に来てから時々通ってる耳鼻科はハッキリ言ってヤブちっくなの……。
でも、家から近いもんだから、ついつい………。

まずはアレルゲンの特定ですって。
だいたい分かってるんですが、しっかり検査した方がいいもんね。
それから先生と相談しながらの治療ってことになるみたいです。
時間かかってもいいから、鼻炎が軽減されるといいなぁ〜。
たのんます。せんせ。


****
昨日の日記にも私の実家のことを書きましたが、今までの日記にもよ〜く家族のことを書いてますね。私。
「よしみさんちは家族が仲良しなのね。」と思ってるでしょ?そこの貴方。

んんー。
んんんんー。

確かに仲良しなんだけどね。
そうなんだけどね、でもずーっと私の中では複雑だったんですよ。家族ってものは。
今は死んだ家族も含めて「みんな好き好きー。」って言えるけど、小さい時から社会人になって1〜2年の頃まで、そんなふうには言えんかったですよ。


好きなんだけど、キツい。


こんな感じですかねぇ。
自分の中で家族それぞれに対しての葛藤がいろいろあって、長い間キツかったんです。
今から思うとね、そーゆーのが有ったからこそ今の気持ちになったんだって分かるんですけど、なにせ子供の頃からですから期間が長いでしょ。
私的には心の中が大変じゃなかったと言えば嘘になるかな。


でもね。
これは仕方がないっちゃ仕方がないんです。
というのも、最近ふと気がついたんですが、「家族」というものが私の魂のテーマみたいなんですよ。
自サイトにも書いてありますが、私ね、ヒプノセラピーで自分の前世を見てるんです。
見た前世は4つ。


家族と離れてしまうという人生を経験してきた私の魂は、現世でもやはり「家族」というものを意識せざるを得ない生き方をしてるんでしょう。
そんなことをオカンに話したところ、
「だから、アキオはこうやって(ダウン症として)生まれたんかもね。よしみとずっと一緒にいるように。」
と、オカンが言いました。



涙が出そうになっちゃいました。



で、この話を旦那さんにしたところ、
「じゃあ、アキオは(前世で)捨てた子供かもよ。」
と、言われました。




涙が少し出ちゃいました。




本当のところは分かりませんが、息子として生まれてきたアキオの魂とは、何らかの強い縁があるのは確かです。
家族をテーマにこの世界での修行・経験を積んでいる私の魂にとって、アキオはとてもとても大切な存在であることに間違いはありません。

そう思ったら、よりアキオが大切でかわいくて、ついつい寝ている息子の頭をなでなでしてしまいました。



そうそう。
細木数子さんはあまり好きじゃないけど、彼女の占いは一目置いてる私。
ふと思いたったので、さきほど六星占術のサイトで調べてみました。
アキオの生まれた年は、彼自身にとって「再会」の年でした。
私にとっては「種子」の年。
『やっぱり、再び会いに来てくれたのね。始めっからやり直そうね。お母ちゃんね、今度はちゃんとするからね。』と、寝てる息子の顔を見ながらしみじみしてしまいました。

(ちなみに。
旦那さんは私の一歩前を行く星回り。
まさしくまさしく!!!!)

※追記※
これを書いた時は昔々の細木さんしか知りませんでして…。
その後、たくさんテレビに出演されてるのを見てビックリ。
あら〜、昔の顔つきと違うやん、と驚きましたわよ。
どうやら、いろんな修行もされたようですね。






写真は、カール(うすあじ)の袋を抱えて笑ってる息子。
お母ちゃん、カール大好きだからな〜。遺伝か??まだ食べてないのに分かるのか??




■ぴっかぴか。■   at: 2004/01/15(Thu)

昨日リンクしておいた流奈くんのサイトですが、今日見てみたら「メッセージ集」しかありませんでした。
「自伝」とか「おとぎばなし」が削除されてました。
本に収録されてるからってことなんでしょうか。
んー。ちょっと残念。
(もしかしたら、他の理由かも。)

流奈くんの自伝を読んだのは、もう2〜3年前ですかね。
最初に読んだ時は、そりゃもービックリ仰天でした。
「おとぎばなし」は何度も読み返しましたねぇ。
んーー。やっぱり削除されてるのは残念。


****
今日は旦那さんがようやく出勤しました。
なので、久々に日中アキオと2人っきり。
でも、アキオは風邪気味、私もしなしな症気味なので、午前中は2人でぐーぐー寝てました。
午後もアキオは1時間半ほどお昼寝でした。

今はちょっと風邪気味みたいなので、だからよく寝るのかもしれないな〜、と思うんですが、そうでなくてもアキオはよく寝ます。
夜も軽く8時間以上寝ますし、昼間もチョコチョコと寝ます。

すぐ疲れるみたいなんです。

やっぱりね、こーゆーところがダウンちゃんなんだなぁと感じます。
ダウン症の赤ちゃんは大人しくて、よく寝るんだそうです。
物理的な問題として脳や神経系統の発達に遅れがあるというのももちろんですが、よく寝る大人しい赤ちゃんだと、どうしても発達のための刺激が少なくなります。
なので、発達遅延には二次的な問題もあるそうなのです。

ですから、起きてる時はとにかく手をかけて脳に刺激を与えようと心がけています。
抱っこやオシャベリ、スキンシップに発達を手助けする運動…。

これって楽しいんですけど、かなり疲れます。
肉体的というより、精神的に疲れます。
多分、かーなーり気が張ってるんだと思います。
でもね、これが愛なんですよ。私の。
ぴっかぴかの愛です。
だから、1日の終わりにグッタリしても、また明日も同じことの繰り返しをするんです。
疲れるけれど、楽しいんです。


てか、それって幸せなんですよね。
旦那さんも、そんな私のことを理解してくれて助けてくれてますしね。
ありがたいありがたい。
それにね、あの職場で旦那さんだけが定時に帰宅できるってことは、周囲の理解があるからこそなんですよね。
ほんとにありがたいありがたい。

あ、てことは。
アキオは私と旦那さんだけで育ててるんじゃないわけですね。
オカンやお義母さん、弟たち家族はもちろんだけど、部長や海賊王、ヒッキーやチビタやタマゴ姉さんやユキ坊…。
み〜んなで育ててるんですね。
み〜んなの愛のおかげです。
これもすべて、ぴっかぴかの愛ですね。
おお。
そう思うと、直接手助けをしてもらってる訳じゃなくても、私たち親子のことを気にかけてくれてる友達の愛もたくさんあって、それらもぴっかぴかなんですな〜。

んんー。
アキオの周りにはぴっかぴかの愛がたくさんキラキラしとるぞー。
うひょー。まぶしーー。





…なんか、こんなふうに書くつもりじゃなかったけど、こんなふうになっちゃったですわ。
ちと恥ずかしい。
ま、いいや。ぴっかぴかなので。
ふふ。




■命を完うする。病気も完うする。■    at: 2004/02/11(Wed)

NHK教育の福祉関係の番組を見ました。
レット症候群のお嬢さんとそのお母さんのお話でした。


いろんな、ほんとうにいろんな疾患があるけれど、レット症候群はかなりキツいなぁ、と思いました。
女児の1万人から1万5千人に1人という発症頻度で、重度の神経疾患だそうです。(知恵遅れや身体の不自由、自閉症みたいな様子にもなるみたいです。)
この病気のキツいところは、『退行』が特徴であることです。
『できていたことが、できなくなる』というのは、親としては非常にキツいと思います。
最初からできないより、退行することの方がどれだけ辛いことか…。
ダウン症だって親としては辛いけど、退行していく病気なんて、もっともっと辛いだろうと思います。


でも、そのお母さんは明るかったのです。
そういえば、見学させてもらった療育のクラスのお母さんたちも明るかったのです。
そんな人たちを見ると、たくさんたくさん泣いた人たちなんだなぁ、ってすぐにそう思ってしまいます。
それは、私もそうだったからね。


でもね。
子供がどれだけキツい病気を持っていても、いつかそれを受け入れることができるんですよね。親って。
だって目の前の子供は生きているんですもん。

子供は生きて、病気をも完うして生きるんだから、親も病気も含めて丸ごと子供を受け入れないと、親自身の命も完うするように生きていけないんですよね。
だから、泣いて泣いて泣いて泣いた後に、丸ごと受け入れることができるんですよね。
それが、命の理。自然の理。自然の流れだと思います。



実はね。
丁度、旦那さんに薦められた本に書かれてあったんです。
『病気をまっとうする』ということが。
私、そんなふうに考えたことがなかったから、目からウロコが5枚くらい落ちちゃったんです。
でもって、今日の番組でしょ?
ああ、そうなのか…、って深く感じてしまいました。








アキオがダウン症として生まれてきてくれたおかげで、本当にいろんなことを日々教えてもらってます。




■7か月検診■    at: 2004/04/08(Thu)

昨日、旦那さんと一緒に章雄の7か月検診に行ってきました。
寝返りもできるし、手で支えればお座りもできるし、うつぶせの具合もいい感じ…ということで、先生に褒められました。
ダウンちゃんにしては発達がなかなか早いそうです。
これなら放っておいても勝手にハイハイするでょう、とのこと。
(ダウンちゃんはハイハイが苦手で、しない子も多いのだ。)


嬉しいですわ。


ダウン症はスピードは遅くてもちゃんと発達をするからね、と先生から聞いていたので
「この子のペースで成長してくれるからいいや。」と思ってますが、それでも早めの成長というのは嬉しいもんです。
親ってそんなもんなんですね。


この子のペースで成長してくれればいい、と言いつつ、それでもやっぱり心配というか、本などに『ダウン症の療育について』なんて書いてあるのを見たりしちゃうと、やっぱり刺激を与えないとアカンのかなー?と思っちゃいまして。
かと言って、児童福祉センターの整形外科の先生は「まだ小さいから(発達の遅れ具合がよく分かる)春過ぎから療育のクラスに来るといいよ。」とおっしゃったので、具体的にどうしたらいいかはよく分からない…と。
(本だけではイマイチ分からんかったのだ。)
で、お母ちゃんの結論としては、

とにかくたくさん抱っこして、たくさん話しかけて、たくさん遊んであげて、たくさん笑かす。

というものでした。
お母ちゃんとの密接な関係というのが一番の刺激だろう、と思いまして…。

おかげでアキオは「この子、頭弱いんちゃうか?」って思うくらいケラケラケラケラ笑う子になりました。
(人見知りするから、家の中だけだけど。)
それが発達にも影響してるんだと思いたいです。

んでもさーー、まーーー、お母ちゃんは大変なんだけどね。
「お父ちゃん、お母ちゃんにガンガン遊んでもらうのが当たり前。」と、アキオは思ってるので、本当に容赦ないんですわ。
毎日ヘトヘトになりますもん。
旦那さんの強力サポート体制が無かったら続けられませんよ。こんなこと。



あ、そうそう。
昨日、三種混合の接種(1回目)もついでにやってもらいました。
水銀問題についてネットでいろいろ調べてるうちに、だんだん「ま、いいか。」という気になってたんですが、先生に質問して話も聞いて接種することにしました。
アキオは泣かなかったんですけど、後から痛くなってきたのか、服を着せようと顔を見たら、涙を溜めてへの字口で我慢してました。
……ちょっと笑っちゃった。かわいくて。



検診後、その足で覚王山日泰寺に行ってきました。
仏舎利が納められているお寺ですから、『花祭りイヴ』にお参りしてきました。
既にお花がいっぱい飾ってある台が設置されてました。
本当なら今日行って、甘茶をかけたいんですがねー。
のうまくさんまんだぼだなんばく。




■与えられた恵み。■    at: 2004/04/25(Sun)

土曜日。
実家でNHKの番組を見ました。
ダウン症についての番組です。
「やっぱり、アキオに似てるよなぁ。みんな。」と思いました。
ダウンちゃんは似たような顔になるのです。
もともと「蒙古症」と言われていたくらいで、みんなモンゴル人みたいな顔になるのです。
(一時期よく「アキオ、あんた朝青龍に似てるわ〜。」と言っとりました。時々すごく似てる表情をしてたんですよ。朝青龍に。)

弟2号は、ダウン症には重い合併症を発症することが多いと聞いてビックリしていました。
「アキオは元気で良かったね〜〜。」としみじみ言ってくれました。
心臓、聴覚、血液……さまざまな合併症があります。
今のところアキオには重い合併症が出ていないことは、本当にありがたいと思います。
ダウン症だろうが何だろうが、子供が病気で苦しそうにしている姿は親にとって本当に本当に辛いことだからです。

ダウン症と言っても、それぞれの個性はさまざまです。
いろんな子供が、いろんな人がいます。
重い合併症を持った子や知的障害が重い人もいれば比較的軽い人もいます。
けれど、どんなダウンちゃんも容赦なく親に変容を要求します。
健常の子供だって「親」を大きく育ててくれますが、障害を持った子供のその力は非常に大きなものです。
まるで嵐のようです。

しかし、その嵐は必ず大いなる恵みを与えてくれます。
私たちも、嵐の中に投げ込まれましたが、少しずつ恵みを享受できるようになってきたと感じます。
オカンや弟たちだけでなく、知り合いの方にも「変わったね。」と言われました。
自覚できる変容もあれば、自覚できない変容もあります。
ただ、以前よりも深く深く「命」を感じるようになったことは確かです。
この恵みを大切に育てていきたいと思います。


さて。
その恵みの1つに、旦那さんの自然農への想いがあります。
今日は、その自然農の塾で旦那さんが仲良くなった滋賀県の方のお家に遊びに行きました。
アキオ、初の遠出でありました。
んでも、ぐーぐー寝てくれてたので、ほとんど問題なく移動できました。
良い子ぢゃ。

私自身は旦那さんから自然農の話を聞くだけで、自然農の畑を見たことはありませんでした。
今日、初めて自然農の畑を見せてもらいました。


とてもキレイでした。


いろんな草や野菜がお互いの生を尊重しつつ楽しそうに生え、命のモザイク画のようでした。
それは草が生え放題の「荒れた畑」とは違うのです。
だから、その近くの「頑張って整えた普通の畑」を見ると、自然農の畑に比べて「ショボいな。」とさえ感じてしまいました。
命の強さが違うのです。


アキオがダウン症じゃなかったらなぁ…と思う日もあります。
でも、アキオがダウン症だからこそ受けることができた多くの恵みは、その悲しみや苦悩も含めて、もはや私たちの一部になっていると思います。
あの畑を、キレイだと素直に感じることができたのが、何よりもの証だと思いました。




■ちょぴっとだけ。■    at: 2004/06/18(Fri)

ちょっとずつ成長している息子であります。
今、お父ちゃんとお風呂に入っておるのですが、最近は湯船につかるのが嬉しいみたいで、ものすごい大きな声を出しております。(ここまで聞こえる〜。)
お風呂が嬉しいと大喜びするくらいになったのねん。



そうやって成長していくにつれ、身体が柔らかいとか、生まれた時は丸かった頭も後頭部がぺちゃんこっぽくなってきたとか、顔もどんどん『独特な顔つき』になってきたとか、「ああ、やっぱりこの子はダウン症なんだなぁ。」と感じることが多くなりました。




染色体が46本だったら、どんな感じのアキオになってたんだろう?と、思うことがあります。
「たら・れば」なんて意味がないんだけど、それでもふと思う時があります。
そんな時は、ちょぴっとだけ切なくなったりするのであります。




■今日も見かけた。■    at: 2004/06/19(Sat)

そいえば。
今日のお昼過ぎ、西松屋(ベビー用品の格安店)に行ったら、ダウン症のお兄さんがいました。
お母さんたちのお買い物についてきたような感じでした。
ダイエーで見かけたダウン症の人は少し疲れたような感じだったけど、今日の人は目もシッカリしていて、元気そうでした。



やっぱり、ハッと目が行くんですよね。
んでもって一瞬でどんな感じの人かを観察・分析しちゃうのです。
「ちょっと(障害が)重そう。」とか、
「軽そうで、元気そう。」とか。
みんな背が低くて少し丸っこい身体つきで、そして同じような顔つきなのです。
でも、やっぱり個人差も大きいのです。

私が見かける時は、お母さんやお父さんと一緒、という場面が多いので、
「ああ、あのお母さんもたくさんたくさん泣いたんだなぁ…。」と、つい思ってしまいます。

あ。
そういう意味ではですね、児童福祉センターに行くと小さい子を連れたお母さんが多くて、当然みーんな障害児を連れたお母さんたちばかりなので、もっと自分に近い感情をみなさん感じてるんだろうな、と勝手に思ってしまいます。
子供のことをどんどん愛すれば愛するほど、時々思っちゃうんですよ。
「ちゃんと産んであげられれば良かったのに。」って。
遺伝子や染色体の異常って、お母さんだけの責任じゃないのは分かっているけれど、それでもお母さんというのは、ふと思ってしまうのです。
だから、
「ああー。あの人もこの人も、たくさんたくさん泣いて、ある程度ふっきれて、それでも時々『ちゃんと産んであげられれば良かったのに。』って思って切なくなってるんだなぁ。」って、思うのです。


いつか、その『時々』が消えていくのか、それともそれは死ぬまで続くのか、それは年を重ねないと分からないけれど、まだ当分は続きそうです。









まーね。
その想いだって、エゴっちゃあエゴなんだけどね。