◆陣痛、出産、カンガルーケアそして初授乳◆


2003年8月25日(月)の午前中、産婦人科での検診時に「子宮口が2〜3cm開いてるね。」と言われました。
予定日は31日だったので、もういつ産気づいてもおかしくありませんでした。
時々、前駆陣痛もありました。
本当にカウントダウンだなぁ〜、と思いました。

その日の夕方、旦那さんが帰宅してから一緒にお散歩に出ました。
家の近くまで戻ってきた時、急に目の前を自転車の子供が飛び出してきたため、すっごくビックリしてしまいました。
それが刺激になったのか、その後すぐに出血。
7時過ぎから定期的にお腹が痛くなってきました。

じ、陣痛だよ〜〜〜。本物の陣痛だよ〜〜〜。

と、ドキドキワクワクしてきました。

けど、結構落ち着いていて、しっかり夕食も食べて、「明日は新聞紙を出す日だから。」と陣痛の合間に新聞紙をまとめ、当分入れないからとお風呂にもしっかり入りました。(産後1か月はシャワーのみ。)
今夜は眠れないだろうから、と旦那さんと一緒に早めに横になりましたが、定期的に痛みが来るので眠れません。
仕方がないので、横になりながら『世界陸上』を見つつ、陣痛の間隔をメモっていました。

間隔が10分を切り、旦那さんと一緒に病院に向かったのが日付が変わって12時半を過ぎていました。
それでも、ちょっとキツめの生理痛って感じだったので、本当にまだまだ余裕がありました。この頃は。
「あああー、これから室伏登場なのにぃ〜〜。」と、残念がるくらい余裕を持ってました。
しかし…。
ここから急激にお産が進むのであります。

1時に入院し、看護婦さんに内診をしてもらったところ、まだ子宮口は3cmほどのまま。
間隔が3分を切るまで、個室で旦那さんと一緒に陣痛を耐えることになりました。
テレビもあったので、世界陸上を流してもらい、室伏を応援しようとしましたが、すぐにそんな余裕は無くなってきました。
間隔もだんだん短くなるし、痛みもだんだん強くなってきたからです。
「くーーっ。痛いーーっ。やっぱり陣痛ってめっちゃ痛いわ〜。」と思っていたら、陣痛と赤ちゃんの心拍の30分間モニター結果を持ってきてくれた看護婦さんが、
「4分間隔になってるね。赤ちゃんの心拍は問題ないよ。痛みはねぇー…、この倍になるよ。」と、グラフを見せてくれながら教えてくれました。

ば、倍??

すでに普段の生理痛の痛みをがっちょり越えていました。
今から思うとまだまだ序の口だった痛みではありましたが、私にしてみたらかなりの痛みになっていました。
なのに、これからまだまだこの倍の痛みがやってくるだなんて、もぉ気が遠くなりそうでした。

陣痛は波のようなものです。
ざばーーーんと痛みが打ち寄せると、1分間ずーっと痛いのですが、すっと痛みが引きます。
痛くない時はちっとも痛くないのです。
しかし、3分間隔に近づいてくると、痛みが無い時間なんてほんの少しで、落ち着くこともできなくなってきます。
身体の力を抜いて、その痛みを和らげるための『呼吸法』というのがあります。
ヒーヒーフーー、ってやつです。
(いろんなタイプがあるらしいんですが、私が教えてもらったのはソレ。)
だんだん加速していく痛みに苦悶している私のために、一緒に呼吸を整えようとしてくれた旦那さん。
なんて有り難いんだ〜、と思いましたが、私ときたら、ちっとも上手く呼吸できないし、痛みも和らげることができません。

…ええ、土壇場になって気がついてしまいました。

私、身体の力を抜くのがド下手やったんや〜。
はー…。心療内科の先生に言われたこと、忘れてた〜〜。もっと練習しとけば良かったぁーー…。
と、思っても後の祭りで、全然上手に力が抜けずに痛みを和らげることができないまま陣痛に耐えることになってしまいました。

もう室伏を応援する気力も無くなっていましたが、私の気を紛らわそうとして旦那さんが
「ほら、室伏が投げるよ。今、2位だよ。」と、言ってくれました。
虚ろになりながら、テレビをチラっと見たら、室伏がサークルに入ろうとしているところでした。
「…おう。あたしも頑張るから、お前も頑張れよ。」
と、私なりに精一杯の言葉を発してみました。

それから何度か波を乗り越えた後、もーーーどーーーしてもアカン!というところまで痛みが増してきてしまいました。
こんなに痛いのは生まれて初めてで、これ以上は耐えられん、と思いました。ほんっっっとに。
あまりの痛みに発作が起きそうな感覚にもなっちゃったので、旦那さんにしがみついたりしてました。

と、痛みのピークはここまで。

実はとっくに陣痛の間隔は3分を切ってたようで、旦那さんはギリギリまで個室で粘ろうと考えてたようです。
ギリギリまで個室で頑張った私たちは、ようやく陣痛室に移動しました。
私はとてもとても歩ける状態じゃなかったので、車椅子にて移動。

陣痛室に入ってから内診をしてもらったところ、子宮口は6cmになってるとのこと。
「…まだ?」と、ちょっとガッカリ。
これだけ痛いんだから8cmくらいにはなってるんじゃないの?と勝手に思ってたんですが甘かったです。
でも、私はもっと甘かったのでした。
ここからは『痛み』との格闘ではなく、『いきみたーーーーい!』という感覚との壮絶な戦いとなったのです。
痛い、という感覚はずーっと続いてたんですが、陣痛室では陣痛が来るたびに『とにかくいきみたい』という強烈な気持ちになったのです。
お産がどんどん進んでいる証拠です。
しかし悲しいことに、ここでいきんではイケナイのです。
ここでいきむと下腹部が鬱血して、出産しにくくなるということで、『いきみ逃し』をしなければならないのです。

ものすごい下痢を我慢しろ、と言われてるようなもんです。

あまりに辛くて、旦那さんを何度も叩いてしまいました。
どんどんどんどんどんどん『いきみたい』という気持ちは大きくなり、ハッキリ言って気が狂いそうでした。
陣痛室に入ってから30分。
子宮口は9cmに開いてました。
想像以上のお産の進み具合に看護婦さんもビックリです。
「もういきみたくて仕方がないんですが…。」と申告すると、
「じゃあ、思いっきりじゃなくて、50%の力でいきんでいいよ。もう少しだからね。」との回答。

半分の力でいきんでいいって言われたけど、どうやって加減するんや???

ちょっと困惑しましたが、それでも少しはいきんでいいと言われて、次の波で少しいきんでみました。
半分オシッコを出したところで止める……みたいな感じで、ヘンテコリンな感じでしたが、それでも少しだけでもいきむことができるというのは違います。
身体が楽なんですね。

「次の波が来たら、分娩室に移動しますね。」と看護婦さんは告げて、部屋から出ていってしまいました。
実は後から知ったんですが、私の出産の直前に別の妊婦さんが出産してたんですね。
だから慌ただしかったらしいのです。
おかげで、あと1回の波で分娩室のハズが、3回くらい待たされてしまい、本当に気が狂いそうになりました。
ああーーーっ、もう出したいのーーーーっ!!って感じで。


ようやく看護婦さんたちが来てくれた時はとっくに子宮口は全開。
すぐ前の部屋まで歩くことなんてできない状態だったので、ストレッチャーに乗せられて運び込まれました。
こーゆー時、雅子さまのようにLDR(陣痛室と分娩室と回復室が同じ)にしとけば良かったかなー?とチラっと思いましたが、やっぱりお値段がお高いのでストレッチャーでヨシですな。

分娩台に乗せられて、足カバーをつけてもらったり何やかんや処置をしてもらい、いざ分娩。
妊婦雑誌にいろいろ書いてあったんですよ。
いきむ時の呼吸の種類とか、いきんでる時は目を開けるとか……。
んなもん、ほとんど忘れてしまいました。
覚えていたのは、最後の最後で「はっはっはっ。」という浅い呼吸をするということだけ。
なので、「はい、いきんでー。」と言われても、めちゃくちゃになってました。
「目は開けて!」「一回深く息を吸って!」と、1つずつ指導されて、1つずつ修正するのがやっとでした。
でもって、分娩室にいた時から「痛いっ。もうイヤやっ。」と声に出してたので、自分としては情けなかったんですね。
ものすごーーーく切羽詰まってる状況なんですが、頭の一部は冷静で、
「もうイイ年での出産なのに、なっとらんやん。」
と、呆れる自分も居たのです。
でも、できんもんはできんので、1つずつ修正し、おもいっきりいきみました。

3回いきんだところで、看護婦さんたちが
「もういきまないで。はっはっはっという呼吸をしてね。」と指示。

おおおお!生まれるんやー!マメタロウが生まれるんやー!

と、がぜんワクワクしてきました。
痛みはもちろんありましたが、あとほんの少しで終わりです。
「耳をすまして、よく聞いててね!」と看護婦さん。
産声をしっかり聞かなくちゃ、と浅い呼吸の中で思いました。

すると、

めるんっという感覚と共に、痛みが嘘みたいにスーーーっと退いていき、一拍おいてから「おぎゃー!」という声が響きました。

4時37分。
生まれたんです。
マメタロウが生まれたんです。
「ああ、やっと生まれた〜。」とホッとしました。
涙が出るかと思ったんですが、泣き虫の私なのに、涙はちっとも出ませんでした。
とにかく達成感が大きくて、感動の涙なんてーものが出る余地が無かったようです。

生まれてすぐのマメタロウを布でくるんだ状態で渡されました。
不細工な顔でした。
でも、すごく嬉しかったです。


産声をしっかり上げた後、マメタロウは泣きませんでした。
彼も「あー、オレ頑張ったぜ。」と、達成感いっぱいなのかしら??なんて思ったりしました。
私は胎盤を出してもらったり、臍帯血を採取してもらったり、切開した会陰を縫ってもらったりしてたので、分娩台から動けないままでした。
(これだけスムーズにお産したのに、会陰を切開せにゃならんかったのは、以前の痔の手術のせい。どうしても皮膚が伸びきっちゃって、上手いこと広がらなかったらしい。)
代わりに旦那さんが、体重を計ってもらったりしているマメタロウを覗き込んでいました。
「指がちゃんと5本あるか、確かめちゃった。」と、後から旦那さんが笑って言ってました。



再び陣痛室に運び込まれ、そこで2時間以上、親子3人でカンガルーケアの時間を過ごしました。
私の胸の上に、生まれたばかりの息子が乗っかっているのです。
疲労困憊のはずなのに、頭はハッキリしていて、とても眠れる状態じゃありません。
出産直後はそーゆーモンだそうです。
おかげで、ずーーーっとマメタロウの顔を眺めて、身体を撫でて、話しかけて…と、カンガルーケアの時間を堪能させてもらいました。
実に素晴らしい時間でした。
カンガルーケア、最高です。



その後、一旦息子とはお別れでした。
実は私は、陣痛が強くなってきた時から38℃の熱を出してしまっていたのです。
多分、自律神経が暴走したのでしょう。
そのため、個室でゆっくり寝てください、と言われたのです。
産声を上げてから全然泣かずに落ち着いた様子だった息子でしたが、私の胸から離された途端、大きな声で泣き出してしまいました。
ものすごく切なくなりました。

まだ興奮状態にあり、個室でもゆっくり眠れませんでした。
朝食も少し口にしただけ。
出産直後は本当に普通の状態じゃないんですね。

10時頃になり、初おっぱいのために息子が個室に連れてこられました。
すっかりキレイになってました。

上手に飲ませられるかな??上手に飲んでくれるかな??と、ドキドキしながらの初授乳でした。
が、息子はちゃんとした哺乳類でした。
生まれたばかりなのに、そこそこ上手におっぱいを吸っていたのです。
初乳はドロっとした液体で、量も少ししか出ないはずです。
その飲みにくいおっぱいを、生まれたばかりの弱々しい息子が、しっかり吸っていたのです。
まだ皮膚が薄い乳頭は、少し痛かったです。
でも、そんな痛みも嬉しい痛みでした。
私もまた、哺乳類だったのです。



その日の午後から、息子とはずーっと一緒でした。
初日から終日母子同室をお願いしてあったからです。
その産婦人科の標準型の場合、2日目までは夜は赤ちゃんを新生児室で預かるということなのですが、私はその後の母乳ライフのためにも初日からの頻回授乳が必要だと考え、少々しんどくても初日からの終日母子同室を選択していました。
そのために、旦那さんは退院まで、ずーっと夜は病室に泊まってくれました。
私だけではとても無理だったからです。
旦那さんのフォローは本当に有り難かったです。
母乳のために初日からの母子同室を選択しましたが、本当にこれで良かったと思いました。
その後、思ったとおり母乳はどひゃどひゃ出るようになりましたし、なんと言っても息子とずーっと一緒というのは『母性開花』には必須だったからです。
哺乳類はね、そーゆーふうにできてるんですよ。
それを、身をもって体験させてもらいました。