沼津の寮で一人暮らしをしてた頃,あたしは大きな地震が来る前になると
どうも落ち着かず,そわそわすることが多かったんです.
一番ひどかったのが,阪神大震災の時で,あの地震の一ヶ月前から
どーーも落ち着かなくて,『またどっかに,大きな地震が来るのかなぁ・・・・』と
思ったもんでした.
阪神大震災の数週間前に,ちょっとした地震があったので
『あ,これのことだったんかなー?』と,思ったんですが,その後も
やっぱり,胸騒ぎとゆーか,そわそわした感じが続いていたので
『・・・・おかしいなぁ.地震,あったのになぁ.』と思っていました.
そしたら,あの地震が起こり,
『あ.こっちだ.』と,胸のつかえがストンと落ちるような感覚になりました.
(もちろん,あの時の災害の大きさに,違う意味で,そわそわしてましたが.)
霊感の強い母親と弟がいるため,科学的ではない『感覚』というものに対して
素直に受け入れることができる下地はあるとは思ってましたが,
(ただの偶然かもしれないけど,何度か続くと,やっぱり偶然とは思えなくなるのは常でしょう?)
自分自身がなにがしかの『感覚』にさらされることになるとは思っていませんでした.
とは言っても,『虫の知らせ』とか『シンクロニシティ』みたいなことは体験してましたし,
『おおっ.こーゆーのを第六感とゆーのかなー?』と自分自身で驚いたこともありました.
だから,そういった『感覚』が自分の中にも少しは存在しているらしい,というのは
ちょっとだけ嬉しかったりもしたんですよね〜〜.
(でもねー,それくらいのことって,誰にでもあることだよな〜〜.)
そんな私の地震センサーですが,旦那さんと暮らすようになってから,とんと鈍くなっちゃいました.
全然っっっ反応しなくなったんです.
反応すればしたで不思議なんですが,反応しなくなっちゃったら,これまた不思議で仕方がありません.
『どうちゃったんだろー?』と,思ってたんですが,ある時,はっとしました.
旦那さんと一緒に生活するようになって,私の『レーダー』のスイッチの多くはOFFになってないか?と.
一人暮らしをしていた時は,ちょっとした物音にも反応するくらい,
私の『レーダー』は活発に稼動していました.
もともと,とても怖がりなのに,一人暮らしなんてものをしていたため,
(転勤のせいで一人暮らししてたけど,本来,自らそーゆー状況になろうなんて絶対思わないです.はい.)
どーーしても過剰なくらい,部屋の中で気を張ってました.
それは,自分でも『変なのー.』って思うくらいね.(これって,病気に近い??)
つまり,いろんな感覚の感度が上がったままで生活をしてたんでしょうね.
だから,旦那さんと一緒に生活するようになって,そこまで感度を上げる必要がなくなって
一気に『感覚』が鈍ったんじゃないかなー?と,思うのです.
人間が自然の中で生きていた時は,今のあたしたちよりももっと様々なものを察知する能力が
ちゃーんと機能していたのかもしれませんね.
けれど,自然の恩恵だけ透過して,危険は排除する檻を作り出し,その檻の中で暮らすようになった人間に
自然の声なんて届くわけないよな〜〜〜,と思います.
そんな檻の中で生きていくことが良いとか悪いとかって言うんじゃなくて,
人間はほかっておいたら,そーゆー檻を作り出して,その中で生活していこうとする性質を持っているので
感覚が鈍くなっていくのは,宿命的なものなんでしょう.
洪水で『ふりだし』に戻ったって,同じことの繰り返しをしてますもんね.あたしたち.
来年,恐怖の大王が空から降ってきたとしても,人間のやることに変りなんてないんでしょうね〜.きっと.
自分の人生を,多く語る人ではなかったので,
どんな想いをしながら,どんな人生を歩んで行き、
そして,どんな気持ちで死を迎えたのかは,想像で補償するしかないけれど,
とりあえず,孫の私に分かることは,おばあちゃんは病気から解放されて
楽になったんだろうな,ということでした.
父親が死んだ時は,人間ってあっけなく死ぬものだ,と思いましたが,
おばあちゃんの場合は,人間って簡単には死ねないんだなぁ,と思いました.
苦しくても,もうダメだと何度も先生に言われても,死ぬべき時じゃない場合,
人間は,死ねないみたいです.そんな気がしました.
病気で苦しんだおばあちゃんにも,やっと死ぬべき時が来たんだなぁ,と思うと,
人の生命の不思議さに感じ入ってしまいます.
ずっとおばあちゃんと一緒の部屋で寝ていた私は,おばあちゃんの寝息が聞こえないと
『おばあちゃん,生きてるかな?』と,不安になったものでした.
死について考える時,順番から言えば,やはりおばあちゃんの死が一番早くに訪れると
思っていたので(実際は,かなり順序が入れ替わったけど),
おばあちゃんが死んじゃったら,どれくらい悲しいだろうか,と想像して,
泣きそうになったりしていました.
自分も含めて,家族の誰かが,死のために欠けることは,私にとっては
『あってはならないこと』だと強烈に思いつづけていたのです.
家族に対しての反発が大きくなればなるほど,逆行するように家族の死による分離を
忌み嫌うようになっていきました.
今から思うと、その想いは私自身の生そのものにも影響したようで,
不安という形で常に自分の生を脅かし,不安定なものにしていたような気がします.
何故かいつも地に足が片方ついていないような不安定さを,自分の生に対して
感じ続けていたのは,そのせいだったのかもしれません.
しかし,身近な人の死を体験し,死をタブー視しなくなってきてから,
私の生も,少しずつ変わってきたような気がします.
根なし草だったのが,どこかに根を張り始めたような感じなのです.
生と死が不可分だという当たり前のことを気づくのに,かなり時間を費やしてしまいました.
より良く死ぬことをイメージできずに,より良く生きることなんて無理なんでしょう.
もちろん,痛いのも苦しいのも大嫌いなので,死ぬのは恐いけど,
少なくとも100歳までは生かしてもらって,ぽっくりあの世に行けたらいいなぁ〜〜〜〜,と
毎日思いながら生きてます.
おばあちゃんも,『そうなるといいねぇ.』って言ってくれるんじゃないかなぁ,と思ったりしています.
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よしみyosyos@ipc-tokai.or.jp