そうは言っても,やはり沼津生活が長かったため,名古屋に戻ると言っても
嬉しくもあり,寂しくもあり,とても複雑な気持ちでした.
だいたい,私は名古屋本社に知り合いが少ないし,
逆に沼津工場には,ありがたいことに,た〜くさん知り合いがいます.
そんな状態なので,『寂しい病』が転勤前後の数ヶ月間続いていました.
環境の変化と,寂しい病のおかげで,私のお肌はボロボロになりました.
こんなにボロボロになったのは,膀胱炎の治療で抗生剤を飲んだ時以来だ〜〜って
いうくらい,ヒドい状態になりました.
こうなると,心も荒みますね.
あまりにヒドいので,近くの化粧品屋さんに駆け込んで,
おねーさんに相談したら,薦められたのが,漢方っぽい化粧水でした.
(よしみさんは,漢方って言葉に弱いらしい.)
『はじめ,悪いところが,ばーっと出ますよ.でも,徐々に良くなってきて
最終的には,奇麗になりますから,大丈夫ですよ.』と言われて,
それを使い始めたら,どんどん吹き出物が出る出る出る出る出る出る.
不安になって,その後2回も,おねーさんに泣きつきに行きました.
そして,そーこーしてるうちに次は胃をやられました.
胃をやられちゃったもんだから,お肌のボロボロは空前絶後の惨劇でした.
心の荒野は広がるばかりです.
沼津に出張に行くと,いろんな人に
『どうしたんだ?そのボロボロの肌・・・』と言われて,
悲しみが止りませんでした.あああああ.
それでもやっと,この頃吹き出物の数が減ってきました.
少しづつ,寂しい病も治ってきました.
名古屋の生活も慣れてきました.
(なんてったって実家まで1時間で帰れるから,嬉しいし〜〜.)
けれど,吹き出物が跡になっちゃってるのもいっぱいあって,
お肌の憂鬱度はそんなに変わってないのが現状です.
この年だと,跡が治らないんだよな〜〜〜.ちきしょー.
(ヒーリングすれば?ってのは無しね.相変わらず自分には効果薄だもん.)
お姫さまが,自分の遊び道具である『金の毬』を
池に落としてしまいます.困っていると,一匹のカエルがやってきて
『それを池から拾ったら,おいらと遊んでおくれ.』と言うではないですか.
どうせ,カエルなんかに拾えないわよ〜,と思ったお姫さまは
『いいわよ.』と言ってしまいます.
しかし,カエルは毬を拾ってきてしまうではありませんか.
そして,当然のごとくカエルは
『さあ,おいらと遊んでくれ〜〜〜.』と,お姫さまにつきまとうようになります.
が,しかし,
『げ.なんでカエルと遊ばないかんのじゃ.』と,お姫さまは逃げまくります.
それでも,つきまとうストーカーのようなカエル.
そして追い討ちをかけるように,王様であるお父ちゃんにも,
『約束は守らんとあかんのじゃ.』と,叱られる始末.
だんだんお姫さまは腹が立ってきて,とうとうカエルを掴んで,
壁に叩き付けて殺してしまいました.
・・・・ぐちゃああああああああ・・・・・
するとどうしたことでしょう!
なんと死んだカエルはかっこいい王子様に変身したのです!!
そして,王子様とお姫さまは幸せになったとさ.
と,いうお話なんです.
初めて読んだ時は,『なんじゃ?この話は??』と,暴れたくなりました.
だってそうじゃないですか.
約束も守らない上に,正当な主張をしてるカエルを,こともあろうか,
壁に叩き付けて殺してしまうお姫さまが,かっこいい王子様と幸せになるなんて
なんか理不尽さを感じてしまいませんか?
『約束の日になっても仕事を仕上げずに,ぽいって投げ出して,
他の誰かが代わりにやってくれるのを確認したら
成果だけは自分のものにしちゃえ〜〜〜ってコト???』
と,思ってしまいますね.
それではイケマセンよね.やっぱり.
このカエル問題を考えているうちに,私の目の焦点はある箇所にに絞られて行きました.
それは『カエルが殺されて,王子様になった』という部分です.
お姫さまの約束破りの末の幸せな結末という展開を成立させるためには
この特異なポイントを通過しなければなりません.
『全て』がひっくり返る『特異なポイント』というイメージです.
『美女と野獣』のように,『愛』がすべてをひっくり返す(魔法が解ける)というお話には
私たちは慣れてしまっているので,違和感をそれほど感じないと思います.
『愛』には力があるという幻想は受け入れ易いのでしょう.
けれども,『約束を破った上のカエル殺し』が全てをひっくり返すというのには
どうしても奇妙さを感じてしまい,フォーカスが絞られて行くのです.
実は,某心理学者さんの本に,このカエルのお話についての解説があったんです.
ちゃーんと,カエル問題の謎解きがしてありました.さすが学者さんは違うね〜〜.
で,簡単に言うと,
『カエルが殺される』という部分は,大人への『通過儀礼』を意味しているのだそうです.
ここで大切なのは,単に死ぬということではなく,『殺される』ということなのだそうで,
カエルが自発的に死んでも,そこが王子様への変化につながるポイントにはならないってことです.
(と,ゆーよりも,自分では死ねないんだな.)
そのために,お姫さまは物語の中で約束を破り,つきまとうカエルを気味悪がり,挙げ句の果てには
壁に叩き付けなければならなかったって訳です.
つまり,お姫さまの役割は,王子様と幸せになるとこではなく,カエルを殺すことにあったんですね.
そんなこととはつゆ知らずにこのお話を読んでいた私には,
どうしても話の展開が,奇妙にしか思えなかったのでしょう.
(だいたい,『幸せになったとさ』が一種の記号のようなモノだって気づいたのも最近だもん.あたし.)
様々な地域の『通過儀礼』の中には,儀式の主役である子の首を絞めるというのもあったんだそうです.
一人の子供が殺されて,一人の大人が生まれるということなのでしょう.
大人になるために,『自ら死ぬ』のと『殺される』というのでは,結構,大きな違いだと思います.
ちゃんとしたお勉強をしてる人に聞いてみないと分からないのですが,
健全な生命体にしてみれば,『自ら死ぬ』というのは好ましい行為ではないと思えますもんね.
(もちろん,細胞のアポトーシスなどもありますし,100%とは言えませんが,
専門家じゃないので,直感レベルでの感覚でモノを言ってます.はい.)
大人と子供では,有する世界が違うというはっきりした観念があると,
子供は一度殺されて,生まれ変わる必要性が出てくるのかもしれませんね.
で,自分を省みると,
成人式では,心に残らないようなお話を聞いて,お饅頭をもらっただけで
私は殺されていません.
『あんな成人式じゃ,私は大人になってないのではないかしら????』と,思っちゃいます,
しかし,今や私は子供の世界では生きていません.
どうしてなんでしょう?
それで,よーくよーく考えてみると,
『私は何度か殺されてたんじゃない???』と,思えてきたのです.
厳密に言えば,『私』が『私』と思えるための『自己を形成するための認識群』が,です.
もちろん、自己崩壊などという現象に陥ったことはないので,
これまた厳密に言えば,殺されたと言うより,瀕死の重傷を負わされたという感じなんでしょうけど.
今まで,自分の人間性を成長させる『肥やし』というのは,
どんどん付加されていくようなイメージで私自身は捕らえていました.
もちろん,その肥やしを取り込んで成長していく『私』というのは
風船が膨らむような奇麗な形ではなく,もっともっといびつな形状でぐねぐねしながら,
おそらく美しくはない成長過程を通ってきてます.
それでも,そのぐねぐねの私は,成長という方向性は持っているのです.ちゃんとね.
しかし,ごくたまに,とんでもない肥やしが目の前に現れることがあります.
それを四苦八苦しながら取り込もうとするのですが,相手は『とんでもないもの』であって
もともと許容量オーバーの相手なのです.これは大変な事態です.
はたして,『私』はどうなっちゃうのか??????
少なくとも,私の場合,『私』を形作ってる『認識群』の一部が弾け飛んでしまいました.
その状態になると,自分の輪郭がぼやけてしまい,『私』が『私』の中に納まっているのが
とても具合悪い感じになったんです.
あるフェーズと,あるフェーズの境界で立ち往生しているような感覚です.
これが,『私』の一部が『殺された』状態なのではないかなー,と思った訳です.
(ちなみに,『私』がダメージを一番大きく受けたのが,いわゆる思春期の時でした.)
もちろん,飛び散った『認識群』は,苦労の末,再構築されていきます.
この再構築されたものは,元々のものとは違う様相になっているのがミソですな.
人間には,付加だけではなく,どこかで壊して作り直すという作業が必要になってくるのかなー,
なんて思えたりするのも,そのせいかもしれませんね.
そうじゃなかったら,殺されて生まれ変わるなんて主題の童話が生まれるわけないと思うし.
当然,そんなに頻繁に壊されていたら,作り直す元気がそのうちなくなっちゃうので
ごくごく希にしか『殺される』という状況は発生しないと思います.
大人になるという時期は,その希な時期の一つなんでしょうね.
内科に行って検査をしてもらっても,
『心電図も血圧も血液も異常ないよ.』と言われるだけで,
心の中では『そんなの,知ってるよ.』と,つぶやいて,ため息が出るばかりでした.
いままでなら,『ま,仕方が無いかー.』とあきらめてたのですが,
さすがに『おうちから出たくない病』を発症してからは危機感が大きくなってたので
敷居の高かった『心療内科』を受診することにしました.
心療内科に行ってみて,驚いたのは,『グループカウンセリング』でした.
全然知らない他人様とお医者さんのカウンセリングの様子を,同じ部屋の隅で
じっと見てなくてはいけなかったのです.
『え〜?そんなの,いいのかなー?』と,はじめは戸惑いましたが,
効果はありました!!
だって,他人様の苦しみがあまりに酷くて,あたしなんて,たいしたことないじゃん,って
客観的に感じられたんですから.
そうすると,不思議なもので,不定愁訴が辛い時も,
『・・・・あの人の苦しみに比べたら,多分,たいしたことないなー.』と
思うと,なんとか不定愁訴もやりすごせる気がしてくるんです.
(もちろん,やり過ごせない時もあるけどね.)
私の場合,検査の結果,もともと自律神経が乱れやすい体質だと分かりました.
それに加えて,精神的袋小路に入ってしまったため,多少,心身症気味に
なってしまったようです.
今は,週に一回,通院してます.お薬の処方と,数分のカウンセリングが続いています.
2回目からは簡単なカウンセリングなので,不安になって
『こんなのを続けてて,本当に改善できますか?』と,お医者さんに聞いたりもしましたが,
『大丈夫.ある日,ぽっと,自分で気がついて,良くなるもんなんだよ.』と
お医者さんは,笑顔で答えてくれました.
良くなったり,悪くなったりの繰り返しで,徐々に改善されてくものだ,と
頭では分かっていても,やっぱり,不安になったりします.
でも,『きっと,良くなる.』と私が思っていないと,どんな名医でも治せないだろうな,
と思うので,不安に負けて希望を失うことだけはしたくないな,と思っています.
不安というシロモノは,なかなか厄介だなぁ・・・と思います.
不安という感情が無くなったら,楽は楽だろうけど,おそらく人類は絶滅してしまうでしょう.
でも,些細なことにも不安を持つようになると,普段の生活を円滑に営むことができなくなります.
不安と上手に付き合えるようになれば,怠け者のこの体も多少は聞き分けのいい子に
なるのかもしれませんね.