つれづれなるままに

つれづれに書いたエッセイとまでいかない文章たちです.by yoshimi


  秋の初めは,なんだか,ちょっとそわそわします.
お店では秋ものの洋服が並び,吸引力が増加します.
スーパーにはおいしそうな果物が,私に声をかけます.
そして,テレビや雑誌では秋冬用の化粧品の宣伝が多くなります.
今年も,そんな季節になりましたね.


  私の勤めている会社は,ジーンズでの就業を黙認してくれます.
さすがに新人の時はジーンズでの就業は控えていましたが,
今では毎日,ジーンズで通勤しています.
ですから,奇麗な洋服を買っても,ほとんどは箪笥の肥やしになってます.
着ないスーツやブラウスが,どれほど眠っているでしょう.
時々,旦那に厭味を言われますが,こればっかりは仕方がありません.
なぜなら,私は,おしゃれのできない体だからです.
つまり,冷え性なんです.
夏でも冬でも,靴下は必需品です.
パンスト一枚で,ミニスカートなんて自殺行為もいいとこです.
おなかが痛くなって,ご飯が食べられなくなって,体重が減って,
体調が悪くなるのが分かっていて,どーしてミニスカートがはけるでしょうか.
それに比べて,ジーンズの暖かいこと.
地の厚いジーンズは,私をしっかりガードしてくれます.
ジーンズなら,靴下をはいていても,ちっともおかしくありません.
ジーンズって素晴らしいです.(男の子に間違えられたけど止められないっつーの.)
  そんな訳で,お店の吸引力が増しても,「どーせ着ないや.」と思っちゃうため,
お財布への実害は,あまり大きくないんです.実はね.


  じゃあ,果物の誘惑がこたえるか,というと,それほどでもないんです.
なぜなら,果物は体を冷やすため,これまた,おなかの弱い私は、
食べたいんだけど,我慢してしまうからです.
何故,好きなのに我慢できるかと言うと,スーパーでは,一袋いくら,で
売ってることが当たり前なので,
「こんなに買っても食べられないやー.もったいないもんなー.」と
思ってしまうからです.主婦にとって,『もったいない』は威力絶大です.
(じゃあ,バラ売りの果物を買えばいいじゃない,と言われるかもしれないが
  それこそ,もったいないっつーの.一個あたりが高くなっちゃうもんね.)
少しばかり寂しいけど,こうして,果物の誘惑から逃げていく訳です.


  すると,残りは化粧品です.
こう見えても,一番やっかいなのが,化粧品の宣伝です.
(こう見えても,って,私を知らない人には分からへんっつーの.すんません.)
なにが,『こー見えても』かと言うと,私は化粧っ気がありません.
時々,会社ででも素っぴんで過ごしてしまうこともあります.
「今日は素っぴんだから,恥ずかしいや〜〜〜.」と言っても,
「え?いつもと変わらないよ.」と言われてしまいます.
ファンデーションと口紅だけだから,素っぴんと大差ないようなんです.
どうしてこうなっちゃうかと言うと,アレルギー性結膜炎によくなるためなんです.
かゆくても,我慢しなきゃ〜〜と,思うんですが,そんなの無理な時が多いです.
ついつい,目に手が行ってしまいます.
(最近は,ちゃんと目薬を愛用してるよ.)
そんなんなんで,アイシャドーだの,マスカラだの・・・といったメイクが
できる訳ありません.
ついでに言うと,私は視力が非常に弱いため,ぼーーっとした顔に
アイシャドーを塗るのが,面倒なんですね.
(コンタクトはかゆくなるから,めったにしないし・・・)
で,行き着いた先が,ファンデーションに口紅だけのメイクだったんです.

  じゃあ,なんで,化粧品の宣伝がやっかいなの???と言われそうですね.
けれど,それは化粧品の宣伝を見れば分かります.
化粧水や美溶液などの基礎化粧品から,ファンデーションなどのメイク用化粧品まで,
その宣伝文句は,甘美な響きでいっぱいです.
これさえ購入すれば,私の肌は奇麗になったも同然だわ〜〜〜〜,と思わせるような
『ツルツル』だの『プリプリ』だの『すべすべ』だのと言った文句ばかりです.
お肌が曲がりはじめて数年たった今,それらの宣伝文句は私にとっては
『おいしそうなエサ』です.
それが擬餌だと分かっていても,食いつきたい衝動にかられてしまいます.
  しかし,悲しいことに・・・いやいや,ありがたいことに,
それら化粧品は,衝動買いできるほど安価なものではありません.
その値段のおかげで,擬餌に食いつくことを躊躇しているうちに
奇麗な肌になれないまま,秋が過ぎていくのです.
そして,そわそわした気持ちは,いつしか物悲しい気持ちになってゆくのです・・・・
「なんて,お肌のコンディションが悪いのかしらっっ!!!!!!」ってね.

  晩秋が物悲しいのは,こーゆー理由なのね.
つれづれに書いてて,初めて気がついたわ〜〜〜.なるほどねー.

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大人の夢


  入社したばかりの頃,ある同期の男の子の将来の夢を聞いて,
少しばかり驚いたことがありました.
彼は,早く年をとって,幸せな隠居生活をしたいと言ったのです.
社会人になったばかりなのに,早くご隠居さんになりたいと言う彼に対して、
私は『解せぬなぁ・・・』と,思ったものでした.
人生これからなのに,何を老けたことを言う子なんだろう,と私は驚いたのです.

  さて,月日は流れて,私も一応社会人として5年を費やした今,
やっと彼の発言にうなずけるような心境になってきました.
私の場合は,もっと欲張りで,
「私は,100才まで生きて,ある朝,ひ孫が起こしにきてくれたら,
  『ありゃっ.ばーちゃん死んでるよ〜〜.』という終わり方をしたいもんやね.」
と,最近は口癖のように言っています.
確かにお肌の曲がり角を過ぎてしまいましたが,まだ20代だし,
そんなに老けたつもりはないし,人生に落胆した訳でもありません.
けれど,将来の夢は,100才まで生きた後の大往生になってきたのです.

  夢を失った大人の最後の夢なんじゃないの?と,言われれば,それまでですが,
この夢は,宇宙飛行士になるよりも,ずっと実現困難な壮大な夢だと,
私は思っています.
体に悪そうなモノばかり摂取してきて,100才まで健康に生きていられるのか?
ひ孫ができても,ひ孫と同居できるような生活をおくれるのか?
そして,ぽっくりと大往生ができるのか?
自分の努力などというものが及びもしないところで決定される要因が多すぎます.
ああ,なんて壮大な夢なんでしょう.
こんな人生の終わり方ができたとしたら,それは神様の御加護としか言えないですね.


  子供の頃や学生の頃は,自分の人生は自分の力で切り開くもので,
自分の努力次第で,なんとでもなるものだと思ってきました.
けれど,今は『なるようななるもんさ.』と感じるようになりました.
上手に流れに流されて,なるようになった先に,大往生が待っていればいいなぁ〜〜
と,思うのです.
子供の頃は,何でも自分の力で出来るんだ,と思うことも必要だけど,
この年になって,それはちょっとおこがましいわね,と知った訳です.
自分のできることなんて,たかが知れてるんですから.
そして,その『たかが知れてること』を,自分なりに頑張って行けば,
もしかしたら,夢が叶うかも・・・と,淡い期待を持って,生活していくことが,
小市民としての善良な生き方かなぁ,と思ったりしているのです.


  ご隠居さんになりたいと言ってた同期は退職したため,ずっと会っていませんが,
彼の夢が,そこそこの形で叶うといいなぁ,と今では思っています.
(今でも,彼は元気かなぁ〜〜.)

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癒されること


  めちゃめちゃ怪しいんですが,私,ヒーリングができるんです.
生まれつきの能力ではなく,お金を払って獲得した能力です.
こうして書いてても,本人でさえ『すげー怪しい.』と思ってしまいます.

  なぜ私がヒーリングという能力を,お金を払ってまで身につけたかったかと言うと,
父がガンで命を落としそうになっていたからです.
治療は主治医の先生に任せるしかないけれど,それ以外で,自分にもできることが
ないか,いろいろジタバタしました.
そのうちの一つがヒーリングだったのです.
緊急事態の時,人間の思考能力は普段とは違う方向に向いてしまうようで,
そこそこの値段で,効果も怪しいにもかかわらず,
私は父親を死なせたくない一心で,『ヒーリングの能力』を『購入』しに行きました.
(怪しい団体だとイケナイので,旦那も一緒についてきてくれました.)

  その父はと言うと,実は,私がヒーリング能力を購入した翌日に急変し,
翌々日に亡くなりました.ヒーリングできたのは,ほんの数時間でした.
(加えて言うなら,父は意識がなくなってました.)
そして,父親を失った私の手には,『ヒーリング』が残りました.


  父を亡くして,ヒーリングなんて用のないモノになってしまった訳ですが,
父を亡くしてから,「ほんとに効くんかいな?」という疑惑の芽が出てきました.
効くかどうかは,試してみればいい訳で,私は,周りの人で試してみました.
試すにあたって私は,『効くのかなぁ〜.こんなの.』と,いう心持ちではなく,
いろいろ病を持った身内の人達に対してだったので,『効くといいなぁ.』という
気持ちで,手を当てていました.

  そしたら,これが,思ったより効いたみたいで,本人がびっくりしてしまいました.
劇的な効果ではないのですが,「楽になったよー.」と言われたのです.
  効果は多少でもあるらしい,と思うようになった私は,機会があれば
友人にもヒーリングをしてましたが,ほんの少し,効果があるような感じでした.
非科学的で,ただの思い過ごしのような気もしないではないのですが,
『もしかしたら,人を癒せるのかもしれない.ちょっとだけだけど・・・』
と,いう思いは,私を喜ばせるに十分でした.自己満足の世界ですね.

  しかし,おかしなことに,自分には,あまり効かないのです.
旦那に手を当ててもらうと,ひどい頭痛も治ったのに,自分で手を当てても,
ちっとも効果がなかったのです.
『なんでかなー.やっぱり,まゆつばモンだったんかなー.』と,再び疑惑の芽が
ちろちろ出てきたものでした.

  そんな時に,私にヒーリングの先生を紹介して下さった方のホームページを見たら,
『自分を信用していない人は,自分に手を当てても効かない・・・』のような内容が
書かれてあり,私は『をををを〜〜〜.』と,身を乗り出してしまいました.
果たして私は,私を信用しているのか?????
腕組みをして,私は考えてしまいました.
それは,ヒーリングの効果を求めるためでなく,素朴な疑問の回答を求めるための
自分への問いへと変わっていきました.

  それまで,いろいろな経験から,人を信じることの意味や,
人を信用することの大切さを,私なりに学ぶことができて,
『これは,私の人生の命題の一つやね〜〜.』と,感じていたのですが,
まさか,『人』の中に『自分』も含まれるとは考えてもいませんでした.
人生は,なんて奥が深いんでしょう.
深すぎて,目眩がしてしまいます.

  さて,クラクラと目眩を覚えながらの探求の結果,
私は,私を信じてへんやんけ,と結論づけました.
私という人間を,私が信用するに足らない人間だから信用してないのか,
人間を信用するという事が,どーゆーことなのかを知らなかったからなのか,
そこまで追求するのは恐くて止めちゃいましたが,
とにかく,私は,もう少し自分を信用してみよう,と思った訳です.
なぜなら,鬱の時以外は,私は私が好きなので,私は私を信用すべきだと
そんな簡単な理由から,信用したいと思ったのです.


  自分を信用しよう,と思ってから後,私が何か変わったかと言うと,
別に何も変わらず,ヒーリングの能力も向上していません.
実際,自分を信用しているのか,と問われると,きっと困ってしまうでしょう.
でも,信用しようと思ったからと言って,すぐに信用できるとも思ってないので,
何も変化がなくても,焦ったりはしていません.
けれど,信用しよう,と思っていることは,大切なことだと感じています.
父親のために始めたヒーリングというものを通して,自分に足りなかったものを
気づけたことが,幸運だとさえ思っています.
これもひとつのヒーリングかもしれないですね. 
(自分の心も癒せないで,人を癒せるなんてできないよなぁ.)

  これから,知らないうちに自分を信用できるようになっていて,
その副産物として,もっと人を癒せる力を得られたらいいなぁ〜,と
体調が悪い時に,手を当てながら思ったりしています.
道のりは遠いだろうけどね.

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人間の知恵


  子どもは天使だと言われることがありますが、
天使は虫をおもちゃにして,殺してしまうものなんでしょうか.
私か小さかった頃,アリの巣に水やお湯を注ぎ込むことが好きでした.
かわいそうなんて思ったりしませんでした.
でも,いつの頃からか,アリがかわいそうだと思うようになり,
巣に水を注ぎ込むなんてことはしなくなりました.
別に,親に叱られた訳でもないのですが,アリをいたぶることはしなくなりました.

  子どもは残忍だし,残酷です.
自分自身,どうして,アリの巣にあんなに固執して,水を注いだりしたのか
よく分かりません.けれど,何かが楽しいかったのです.
人間はみんな、『残忍さ』を持って生まれてくるようです.
しかし,その『残忍さ』は,もともとは,自分たちが生きて行くために必要なもので,
巨大な社会を形成してからは、やっかいもの扱いされてしまった機能なんだろうな,と思います.

  神戸の小学生殺害事件の犯人が,14才の中学生だとニュースで見た時,
声にならないばかりか,気分が悪くなりました.
犯人が大人で,偏執狂か何かだったなら,勝手に納得したのかもしれませんが,
ふいをつかれたような感覚になりました.
けれど,『暗黙の了解』や『倫理』(または,法律と言うのかしら?)の柵を
「あらよっ.」と,乗り越えて,荒野に出てってしまうのに
年齢は,実は関係ないのかもしれないな,と思ったりもしました.
もともとは,私たちが持って生まれてきた機能の一つが大きく発動したんですから.
もちろん,人間が人間を快楽のために殺すということは起きるべきではないし,
それは,法律を守るという意味ではなく,やはり他人を思いやるべきだという意味からです.
道徳や倫理が『絶対』な訳がなく,あくまで,人間同士が上手に生きていくための
知恵に近いものだと思うのですが,だからこそ,逸脱は困るんだよなー,と思うんです.

  異常と正常の境界線なんて,誰にも決められないし,
自分が正常だなんて,胸張って言える人は,自分を知らないだけかもしれないですね.
だけど,できるかぎり,人類が築いてきた知恵を習得して,
みんなでそこそこの社会を営んでいった方がいいのになぁ〜〜と,思います.
でも,人間は人間が一番恐いのかもしれませんね.
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ヨーグルト


  最近,『ぷちぷち』の入ったヨーグルトがお気に入りです.
何が『ぷちぷち』かと言うと,『ビィフィズス菌』なんです.
ビフィズス菌が小さい『ぷちぷちのカプセル』に入っているんです.
そのカプセルのおかげで,胃酸に消化されずに腸まで届くのだそうです.
これは腸の弱い私にぴったりだーーー,ということで,気に入ってます.
が,しかし.
ここに『ぷちぷちの落とし穴』があったのです・・・・
ちいさな『ぷちぷち』がヨーグルトと一緒に口の中に入ってくると,
どーーーーーーーしても噛みたくなってしまうのです.
噛んでしまったら,中のビフィズス菌は胃で消化されていまいます.
それでも,どーーーーしても,噛みたくなる触感なんです.
食べる度に葛藤に悩まされます.
結局,5回くらいはカプセルを噛み砕いてしまいます.
そして,ちょっと後悔してしまうのです.
ううううう・・・・
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アイテム


  父親を亡くしてから,輪廻転生ということを,時々考えます.
私の母親は,信心深い人なので,小さい頃からいろんな話を
私たちにしてくれましたが,『人間は両親を選んで生まれてくる』と
いう話は子供ながら結構衝撃が大きかったことを覚えています.
魂と魂の話し合いで,生まれてくる両親を決めるというのです.
父親を亡くした時に,その話を思い出しました.

  生存中から,私は父親が大好きでしたし,尊敬していました.
しかし,亡くなってからは,それらの想いに加えて,
父親を誇りに感じるようになりました.
人間としては,まだまだ未熟な私ですが,私の魂はちゃーんと分かっていて
私の父親と母親を選んで生まれてきたんだなぁ,と感心してしまいます.
自分の魂に感心するというのも,なかなか不思議な感覚です.
私の中心にあるはずのものなのに,『私』を意識している『私』より
おそらく高次な存在である『魂』というもの.
何十回,何百回と様々な生命を体験してるはずの私の魂.
私の魂には,どんな記憶が刻みこまれていて,どんな形をしてるんだろう,って
分かるはずもないのに,自分の奥の奥の,もっともっと奥の方の『原形』を
探してみたくなってしまいます.(探す術も知らないんですけどね.)

  私は,自分はかなりラッキーだなぁ,とよく思います.
何がラッキーかと言うと,人に恵まれているという点です.
欲を言えばキリがなく,もっと健康で丈夫な体だったらなぁ,と
思ったりもするんですが,人に恵まれることだって,健康に負けないくらい
大切な宝物だーー,と思う訳です.だから,ラッキーなんです.
でも,その幸運って,私が作り出したものでもなんでもなくって,
神様か仏様か,何か人を超えたところの見えないものによって
与えられたアイテムのような感じがします.
けれど,もし,そのアイテムを選べるとしたら,それは,
私の魂が選んでいるような気がするのです.(根拠はないですけどね.)
生まれ変わって,今の私になる前の『私』の生き方によって
今の私の『場所』を与えられ,手に一つのアイテムを握って
自分で選んだ親から生まれてきてるような感じがするんです.
別に宗教に傾倒してる訳じゃないけど,父親を亡くしてから,
そんなことを,ぼんやりと考えることが多くなりました.
だから私は,そのアイテムを大切に,ちゃんと生きていかなきゃなぁ,と
思ったりしてます.
なかなか簡単じゃないけどね.
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からだのこと


  わたしの体って,ナマケモノなんです.
別に,毛がもじゃもじゃ〜〜とかって言うんじゃないんですよ.
ほんとに怠けモノなんです.

  よく,「体が弱いね.」と言われます.そのとおりかなー,とも思います.
でも,本人は,弱いとゆーよりも,怠けとるんちゃうのー,と考えてます.
多分,同年代の一般的な方々より,健康にはめちゃめちゃ気をつかってると思います.
それでも,よく横になる機会が多いみたいです.
やっぱり,怠けて,どっかの器官または機能がええかげんな仕事してるとしか思えんなぁ.
だって,べつに健康診断で,ひっかかったことないもん.
(あ,この前の健康診断で,はじめて尿検査でひっかかった〜〜.ちきしょー.)

  そんな体をしてるので,遊びに行く時も,前もって,体調には気をつけなきゃいけないし,
気をつけてても,当日,ぶったおれることもあります.
(IBCのみなさん,OLMでは御心配をかけまして,すみませんでした.
  カワウソさん,ご迷惑かけて,すんませんでした.いろいろありがとうね.)
なんだかなー,つまんない体だなー,と感じる時も,やっぱりあります.


  そんな私ですが,悲観的になってばっかりではないのです.
なぜかと言うと,テレビで以前にさんまちゃんが言ってたことを聞いて、
「なるほどー.」と思ったからです.
それは,何かと申しますと〜〜.
人間には幸せになるために必要な4つのものがあるそうなんです.
お金と,愛情と,健康と,あと一つは忘れました・・・・だ,そうなんですが,
これが,なかなかビンゴにならないんだそうです.
一つは必ず欠けてしまうのが,人間なんだそうです.
『ほー.なるほどー.』と,思いました.
じゃあ,私の場合,それが健康なんだ,と納得したのです.
と,いうことは,これから生きてくうえで,
食べるに困らないくらいのお金と,楽しい家庭や楽しい友達を持てる愛情には
飢えなくても済みそうだ〜〜〜,と思ったら,
なんとなく,それでも十分だな〜〜〜,と思ったんですね.
健康じゃないって言っても,大病を患ってる訳じゃなく,
少々ばかり不定愁訴に悩んでるって感じだし,
もしかして,人生,イケてるんちゃうの〜?,と感じてしまいました.


  今のところ日本は内戦や飢饉でどーしょーもなくなってる国ではないので
『自分の感じ方ひとつでで,イケてんのとちゃうか?,と思える幸せな環境に
私たちは生きてるんやなー,むふふふ.』と,思ったりしました.

  でも,丈夫にこしたことはないけどねー.
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すきなもの


  ロボット・アニメが好きなんですわー.昔のことをよーく思い出してみても,
女の子アニメより,ロボットものが好きで,そんなんばっか見てたような気がします.
メカがとても好き,という訳でもなく,ただロボットが動いてるのが好きなんです.
熱血少年がでっかいロボットを操って,悪い敵をやっつける,というのが大好きだったんです.

  でも,不思議なことに,私が一番好きなアニメは,『宇宙戦艦ヤマト』なんです.
古代くんは波動砲をぶっぱなすけれど,二足歩行の人型ロボットには搭乗しませんねー.
それなのに,ヤマトが刷り込まれてしまったために,私の一番はヤマトのままなのです.

  では,なぜ,ヤマトが『刷り込まれ』てしまったのでしょう.
それは,私の『脱皮』の時期との一致が原因として挙げられると思います.
『脱皮』です.『脱皮』してるみたいなんです.私・・・

  30年弱の人生を振り返ってみて,その時点の前と後では物事のとらえ方や,感じ方などが
大きく違ってしまう『ある年』というのが,数箇所あるやんけ,と,私は発見したのです.
まるで,それまで目ん玉を包んでいたパラフィン紙が破れたような,はたまた,
まるで,脳にメモリを増設したような・・・・そんな感じがする時期があったんです.
それまでも,それなりに思考もし,それなりに五感から情報を獲得してもいました.
なのに,なぜなんでしょう.
突然,いろんなものが『見えて』くるようになるのです.
昨日も見てたはずのものなのに,なんで今日は違うように見えるの?????といった具合です.
これを,私は,『目の脱皮』『脳の脱皮』と呼んでしまいます.
だって,ほんとにそんな感じなんだもん.

  『脳の脱皮』は高校生の時に起こりました.
誘導因子は高校時代の友達でした.彼女の毒にあてられて,つい,脱皮してしまいました.
いわゆる思春期とかってヤツでしょうか.(遅くないか?あたし・・・)
その頃に,『自己』とか『世界』とかについて思索(ってほどでもないけど)するようになり,
今に至ってます.
つるん,と脳が脱皮したあの時に触れたいろんなものが,今の私にも大きく影響してるなーー,と
よく感じます.刷り込まれとる,刷り込まれとる・・・

  『脳の脱皮』の小さいバージョンが『目の脱皮』と言えば,わかりやすいかも知れません.
または,脳の出張窓口である目が,脳が脱皮する前に先行して脱皮して,準備してた,と言うべきかな.
まぁ,そんな感じです.今から思うと.
それは,小学生の時に起こっていました.3年生の時だったと思います.
初めてのクラス替えが刺激になったのか,つるんっっと,目が脱皮してしまったのです.

  そんな時に,古代くんに出会ってたのです.
脱皮したばっかりの柔らかい目に,彼の姿が,ヤマト乗組員の勇姿が,ワープの素晴らしさが
焼き付いてしまったのです.
こうなってしまっては仕方ありません.
一生,ヤマトを背負って生きていくことになってしまいました.
これが,運命だったのね〜.


  運命の外枠なんて,案外,こんなふうに出来上がっていくものなのかもしれませんね.
知らない間に自分のどこかが『脱皮』した時に触れたものが,刷り込まれてしまい,
抗えない引力となって,人生を曲げてゆくのかなーー,と感じてしまいます.
だって,すきなものって,どーしたって引き寄せられちゃうもんね.
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